「独白」 六道朝喜
- ritspen
- 2020年7月30日
- 読了時間: 7分
もぐらは光を知らない。自分の住む場所は土の中であり、今まで不満を持ったことがなかった。
「分不相応な行動は体に毒だ」かつて母が口酸っぱくもぐらに言い聞かせた言葉だ。母の言葉に疑問を抱くことなく、母の言う事なら問題もないと信じきっていた。あの日までは。
もぐらは母が死んで独りだった。母のいない生活はもちろん寂しかったが、母がいても生活は変わらない。母がいなくても生きていかなくてはならなかった。
もぐらは母と食料以外知らなかった。母に教えてもらった知識しか知らなかった。それだけで十分生きていく事ができるからだ。何も不自由なことはない。
起きて、散歩がてらご飯を食べ、何のためか分からない見張りをし、眠りにつく。これがもぐらの一日だった。母がいた時はそれらに母の会話が混じりこむだけ。何の変哲の無い、代わり映えのしない生活。変化する要素はどこにも無い。もぐらはただぼぅっと一日を、一年を過ごす。つまらないといえばつまらないし、楽だと思えば楽な生活である。
自分も母と同じようにゆるやかに死を迎えるであろう、ともぐらは信じていた。あの日までは。
あれは地面が水分を含みゆるやかになる日だった。
もぐらは母と食料以外の生物に初めて出会った。その生物は恐らく「モグラ」であった。 「恐らく」というのは母以外のもぐらを見たことがないため、判断に困ったからだ。
自分や母よりも小柄な身体、毛並みも少し異なる。
始めて見る生物を前に久しぶりに出す声が出なかった。
代わりに相手が話しかけてきた。
「こんにちは。私、アズマっていうの。あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」
可愛らしい、音虫のような弾む声だった。
「……サ、サドって言うんだ。君は、えっと、その、『モグラ』なのかい?」
震える声でおずおずと彼女に聞いてみた。
アズマは突拍子の無い質問にきょとんとしていた。くすくす笑いながら質問に答えてくれた。
「ふふふ、私もサド君もモグラよ」
彼女は怪我をしているらしく、僕の家に泊めてくれないか、とお願いされた。怪我、痛いもの。それは一大事だと思ってすぐさま承諾した。
こうして僕は始めて母以外のモグラと出会った。いつもの退屈な世界が少し色づいたように見えた。そのときの僕にはそう見えたんだ。
アズマは僕にアズマ自身のことについて沢山教えてくれた。
山地生まれである事。兄妹が自分を含めて五人いる事。アズマはその中で三番目である事。二番目の兄が突然いなくなってしまった事。兄を探して旅をしていたところ、怪我をしてしまった事……。
アズマの話す事はどれも興味深かった。兄弟のいない僕には分からないが、兄がいなくなったことは悲しいのか、彼女の声が寂しそうだった。僕はおろおろしながら彼女を慰めた。
アズマに「サド君の話も聞かせて」とお願いされた。僕は戸惑ってしまった。彼女のキラキラした美しい物語の後に僕の身の上話はひどくつまらない、と思ったから。正直、僕自身が話したくなかった。「そのうち話すよ」とだけ言って話を切り上げた。
アズマの怪我は思ったよりひどく、数週間僕の家に滞在する事になった。
母は「サド、よく聞いて。私とあなた以外の生物がおうちに入ってきたら追い出さなきゃならないの。絶対に。怖い物は入れてはだめよ」と教えられてきた。けど、怪我をしているアズマを追い出せば、いつかの母みたいに死んでしまう。
母の教えは正しい。だけど、弱っているものまで追い出してしまうのは胸が痛んだ。全身で「いやだ」といっていた。そんな事は詭弁で、アズマともっとお話がしたい。なんともいえない欲求が母の教えを妨げた。
初めて僕が意図的に「母」に逆らった日だった。
アズマの代わりに僕がご飯をとりに行く。いつもはその場で食料をむさぼり食うが、彼女のために初めて自宅に持ち帰り、彼女と一緒に上品に食べた。
彼女に「ありがとう」といわれる度に僕の視界が色づき始めた。心の臓がつきつきするようになった。
今まで焦げ茶一色だった僕の家は黄土や灰茶色など小さな色の変化が認識できるようになった。ご飯もいつもよりおいしく感じた。
何より変わったと思うのはアズマに対する考え方だった。初めて出会ったときは母以外の生物でとてもびくついていた。
だけど、怪我の手当てをして、ご飯を一緒に食べて、お話をしているうちに身体の強張りも解けていった。
「彼女の力になりたい」と思うになった。ころころ笑う彼女をもっと見たい。彼女のためなら何でもやりたい、と願うようになった。
アズマのために、彼女の笑顔のために……。
この頃すでに母の教えなんてすっかり忘れていた。「分不相応な願いは身体に毒だ」という教えを……。
それからアズマと僕の生活はしばらく続いた。彼女の怪我もあと少しで治るだろう。完治したらアズマは兄を探す旅に出て行ってしまう。
モヤモヤする。アズマに旅に行ってほしくない。ずっと一緒に居たい。ちゃんとアズマの兄と再会して欲しい。何だろう、言っている事と思っている事がぐちゃぐちゃだ。この気持ちは何だ?
なんでも知っているはずの母の教えの中にはなかった。もしかして母の教えが間違っている、なんてことは無いだろうか。
アズマが話してくれる思い出は母の教えと全く別方向の内容が多いのだ。
例えばアズマの口癖である「興味の持ったことはやってみよう」とか。
これまで生きてきた事は全て間違いだったのだろうか。間違いだらけの生活だったのだろうか。分からない。
母と暮らした生活は楽しかった。この楽しい想い出も間違っていたのか?
どれが正しいのか分からない。
ただ、一ついえることはアズマが兄と再会するために、僕と離れ離れになることはとても嫌だ。
その日の夜、僕はアズマに思い切って一緒に旅をしたいと言った。一緒にアズマの兄を探す、と。
彼女は黙っていた。やっぱり駄目だろうか……。
「えぇ、えぇ! もちろんよ! 一緒に来てくれるの? とっても嬉しいわ!」
彼女は満面の笑みで承諾してくれた。
彼女の力になれる事も嬉しかったが、何より一緒にいられることが何より嬉しかった。
初めて「他モグラ」に認めてもらえた気がした。(といっても僕は3匹しか知らない)
次の日、僕は初めて家の外に出た。それもアズマと一緒に。嬉しくて嬉しくてアズマの「このあたりは密猟者の犬がうろついているかもしれないから気をつけて」という話を聞いていなかった。
初めての外、母の教えを、母を超えてみせる、僕はそんな事を思っていた。
家より上に上がってきた。同じ土の中でもだいぶ明るいなんて素敵な世界なんだ。アズマたちはこんなに素敵な世界で暮らしていたのか。
いきの良いミミズの色の土、澄んだ水滴。母と暮らしていた家とまったく違う。僕達の家は薄暗く、じっとりとしていた。まるで檻のようだった。母が僕をこの世界から切り離したいがために作り上げた牢獄。僕は何も悪い事はしていないのに。
アズマがあの牢獄から助け出してくれたのかな、と思っていたら何か音がした。
モグラの声ではない何かの音。美しかった世界に陰りができた。曇った、と思った。下のほうでアズマの悲鳴が聞こえる。
あれ、首が熱い、息ができないくらい熱い。あれ、おかしいな。ぬらぬらした液体が視界を赤く染め上げる。これは僕の血だ、と思ったら寒気がしてきた。昔の母が小さい僕に「いい? サド、分不相応な事は身体に毒なの。自分を見失うと死んでしまうのよ」と言い聞かせている光景が見えた。
僕はそのまま意識がとんだ。
「お、コテツでかしたぞ。大物のモグラじゃないか。偉いぞぉ」
男は愛犬を褒め称えた。
「地面を少し掘ったら出てきたのか。おっ、コイツはサドモグラじゃないか。すごいなぁ地中深くに住んでいるから滅多に見つからないんだが……。不思議な事もあるもんだ」
男はサドモグラを袋にいれ帰路についた。
帰り道、男はこの間狩った雄のアズマモグラを思い出していた。
毛皮をはぐには小柄だと取引相手に怒鳴られ、金も十分にもらえなかったのである。
「なぁ、コテツ、今日のモグラは大きいし金になるかなぁ。今日の晩飯が豪華になると良いな」
相棒は尻尾を振りながら威勢よく返事をした。
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