「死神とのワルツ」 六道朝喜
- ritspen
- 2020年5月1日
- 読了時間: 7分
――夢を見ていた。
誰かと踊る夢を。大きなシャンデリアの下で優雅に踊っていた。悦楽しながらふと思った。私、どこで踊っていたのだろう。夢は昔の事を思い出す時に見るというし、実際に起こったことだろう。最近物忘れが激しいから、忘れているのかもしれない。きっとそうだわ。
お相手の顔は分からなかった。シャンデリアの逆光で見えなかったのだ。燕尾をきっちり着こなし、華麗なステップをリードしてくれたあの人。夢は昔の記憶。じゃあ、あの人は私の旦那様かしら。だったら、この夢はお見合いの頃かしらね。体が軽く感じるし、何よりも私の手が今より若々しかった。
私がお見合いをした時はまだ大人の女性、というよりも幼く、年上の旦那様が怖かった頃かしら。夢の記憶を頼りにすれば、舞踏会にお呼ばれして踊っているようだった。旦那様の迷惑にならないようにしていたっけな。旦那様も私が転ばないように注意しつつ踊っていたらしい。そう言われて私も、言った旦那様も顔を真っ赤にしていたわ。懐かしい思い出……。
「ねぇ、起きてってば。ねぇ」
想い出“ワルツ”が終わってしまった。懐かしい記憶が去っていった。目の前には花束を抱えた幼い女の子が私を覗き込んでいた。
「あら、恵理ちゃん。よく来たねぇ」小さい客人が私を起こしたようだった。菓子折りを棚から取り出し、息を弾ませてやってきた客人に差し出す。出したのはどら焼きだった。
「わたしね、もうすぐ『お姉さん』になるんだよ。エクレアとか、タルトとか、もっとおとなっぽい、おかしがいい!」
「あらあら、今度遊びに来たときは『大人のお菓子』を用意しとくわねぇ、おませさん」
「うん! ありがとう! たのしみ!」
小さな客人は満面の笑みを見せながら、どら焼きをほおばった。
来月から恵理は小学生一年生だ。そしてお姉ちゃんにもなる。それもあってか、近頃「大人らしい」行動が気になっているらしい。だんだん大人に成長する姿が寂しくもあったが、お菓子がまだまだ欲しい幼い年頃だと微笑む。たわいのない談笑の後、小さな客人は帰路へついた。
恵理が帰った後、一人ぽっつり部屋にいた。一人は寂しい。一年前はあんなに暖かかったのに。寒い冬の日でも耐える事ができた。「私も連れて行ってくれたらよかったのに」ポツリ呟いたはずが、部屋中に響く。特にすることもなく、無機質のベッドへもぐり、眠りについた。
気がつくと夢の世界にいた。踊っていたのだ、この前と同じように。しかし、踊っているダンスの種類が違っていた。タンゴだった。鏡みたいに磨かれた床でキレのあるステップをふんでいた。反射した床には今より生き生きとした自分の顔が映った。心なしか体も軽い。
今回もお相手の顔は見えない顔だけ暗いまま。でも、今回も旦那様ではないか、と思ってしまった。自分の愛した人だと思ってしまうのも無理はない。着ている服が見慣れたものだったから。それは私の贈った服だった。昔はあまり着てくれなくて寂しかったが、着てくれて嬉しい。嬉しくてずっと踊っていた。
「起きて、もう昼よ。寝てばかりだったら体が怠けちゃうよ」
現実へ引き戻されてしまった。
あぁ、まだ踊っていたかった。目の前には昔の私がいた。否、私の娘がいた。安堵した顔を私に見せている。
「いらっしゃい、智佳。恵理ちゃん、今日は遊びに来ないのねぇ」
「恵理? あぁ、恵理は友達の家に御呼ばれしたんですって。ご機嫌で遊びに行ったわ」
「あらあら、恵理ちゃん、そんなに仲の良いお友達できたのねぇ。今度エクレアご馳走しなくっちゃねぇ」
私に似た顔の女性は「何でエクレアなの?」と不思議がりながら笑っていた。
「あ、そうだ、家の中を掃除していたらね、こんなのが出てきたの。これ昔のアルバムだよね」
智佳から手渡されたアルバムは私のものだった。赤い表紙のそれは所々色あせていた。
「中をざっと見てみたんだけど、色々びっくりしちゃった。お父さんとお母さん、意外と洋服似合うんだね」
言われた箇所を覗くと、夢の中で私が着ていた服だった。しかし旦那様の服が違っていた。夢で着ていたのは真っ黒のシャツにベスト、ズボンだった。
全て真っ黒だったから印象に残ったのだ。でもアルバムの中、仏頂面で映る旦那様は真っ白のシャツにグレーのジャケット、ズボンだった。かすかな違和感を覚えつつ、眺めていた。
「ねぇ、このお父さんのスーツってお母さんがプレゼントしたって本当?」
「え、えぇ。プレゼントはしたわ。けどこの色じゃなかったような……」
「でも写真はこの色だし、お父さんに聞いた話でも、たしかにこの色だったよ。記憶違いなんじゃない?」
「そうなのかしらねぇ……」
昔話を楽しみつつ、娘の運動会でポルカを踊った思い出をよみがえらせていた。あの頃、「パパの顔がいつもこわいの。むっすぅってしててね、こわいの」と娘はよく泣いていた。愛しい子にはっきりと言われ、しょんぼりしている旦那様の姿が子犬みたいでかわいらしかった。こっそり笑顔の練習をしていた事がかわいらしくって、娘と一緒に覗いてたっけ。
練習の成果もあってか、運動会のポルカは智佳と一緒に笑って踊っていた。親子揃って顔をくしゃっとした笑顔で踊っていた。
智佳は「何かあれば言ってね。無理は禁物だよ」といって帰った。私は「あなたも無理はだめよ。分からない事あったら聞きなさいね」と娘を見送った。
一人の時間は本当に退屈だ。今までは夜ご飯の支度をして、明日の準備をしてとやることがたくさんあった。忙しいが心満たされるものもあったはずだ。でも今はやることも、心も空っぽだ。明日も智佳は、恵理ちゃんは来るかしら、と願いつつ眠りについた。
また夢の世界だ。踊っている。前々回と同じ舞踏場だった。何もかも同じだった。シャンデリアも、流れる曲も、踊る人数も、花瓶の花の種類までも同じだった。
ただ違うものは私の着ている服だった。私のドレスが前の淡い桜色から藤色になっていた。装飾の類も前とは変わっておとなしい。でも、今の私はこちらのドレスのほうが淡い桜色のドレスよりも好みだった。好みの変化も反映するのかしら……と考えていると、ある違和感に気付いた。
私のパートナーがいない。旦那様がいない。止まろうとしても、私の手足は踊り続けたまま、意志とは反対に独りステップをふみ続けていた。抗う事もできなさそうなので、そのまま踊り続ける事にした。
踊っていくうちに周りの景色がよく見えた。仲むつまじく踊る者、お互いをにらみ合いながら踊る者、幼い子に教えながら踊る者。感情はそれぞれ異なるようであったが、みんな思い思いに踊っているらしい。
ただ、どの人も同じで「踊っているどちらかの顔が真っ黒」なのだ。帽子をかぶってもいないのに、顔が見えない、真っ黒。服もよく見れば烏の羽みたいに真っ黒。不思議さと怖さが交じり合ったそのときだった。
曲が止まった。
操られていた手足も止まった。
意識が遠のいた。「現実に戻る時間なのね」と思いつつ目の前が暗くなった。
「……さん、……さん、智子さん。起きてください」
懐かしい声が聞こえる、この声は……。私はすぐさま飛び起きた。忘れもしない旦那様の声だった。今までずっと夢の中だったはずなのにずいぶん懐かしく感じた。愛する人の名前をかすれ声で呼んだ。旦那様は練習した成果の見える笑顔で応えてくれた。
「私、ひどく昔の夢を見ていたみたい。とても騒がしいけど楽しい頃の夢なの」
旦那様は相槌を打ちながら私の話を聞いてくれた。娘が大きくなったこと、孫が今度小学校へ入学すること、孫が今度お姉さんになること……。
全て話し終えた後、ここが一面の花畑である事に気付いた。四季折々の花たち、藤、桃、センニチコウ、奥に見えるのは睡蓮……。
「智子さん、ここはね、ずっと花が咲いているんだよ。たくさん種類もあるから見ていて心が落ち着くし、退屈しないよ」
「とってもすてきな事ね」そう告げる私の顔は何故か濡れていた。
私たちは散歩しながらお話しをしていた。
「そういえばね、夢の中で智子さんと踊っていたんだよ。君は白色のドレスだったよ。たぶん新婚の頃の君だったよ。古い思い出なのにはっきりとした夢でね……」
「あら? 私、白色のドレスは来たことがないわ。結婚式は白無垢だったじゃない」
「あれ、そういえばそうだねぇ、君は白いドレスは着ていなかったねぇ。夢だから曖昧になったのかな?」
違和感に駆られつつ、私は旦那様に私の夢の話をした。
「私もね、夢の中で旦那様と踊っていたのよ。一回目は燕尾服のあなたがリードしてくれるの。二回目は私がプレゼントした真っ黒のスーツでリードしてくれるの。お見合いした頃かしら、古い思い出なのにはっきりとした夢でね……」
急に旦那様が立ち止まった。
「え、智子さん、僕は一度も燕尾服は着た事なんてないよ。大体、君がプレゼントしてくれたのだってグレーのスーツだったじゃないか」
「あら? そういえばそうね……」
私達はお互い首をかしげながら目を合わせていた。
「「私たちは今まで誰と踊っていたのかしら?」」
二人の影がゆっくりと薄れはじめた。
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