「千六百万度で溶けるチョコレート」 西山直輝
- ritspen
- 2020年5月1日
- 読了時間: 8分
母の奏でるピアノの音色は、わたしにとっての太陽だった。
母が太陽なのではない。母の奏でるピアノの音色が太陽なのだ。
あの音には何かが宿っている。そう思ってしまうような強さがあった。そしてあらゆる所に酔ってしまうような美しい音が散りばめられており、幼かったわたしにはそれが無限の輝きに満ちた宝石箱のように思われた。
わたしが赤ん坊だった頃、眠らないわたしに手を焼いた母は、ピアノを弾いてあやしていたらしい。すると、わたしはたちまち泣き止んで、ピアノの音に包まれて眠るのだ。なんと贅沢な赤ん坊だったろうか。
幼い頃から、わたしは母にピアノを弾いてくれとよくねだった。母はどんなに忙しくてもそのおねだりにはいつも応えてくれた。そのようにして育ったからか、わたしは暇さえあればいつでもピアノを弾くようになっていた。何かに取り憑かれたのではないかと不気味がる人もいたそうだが、わたしと母にとってピアノを弾くということはあまりにも日常的なことであったため、気にも留めなかった。
わたしのピアノの腕はみるみる上達していった。特に小学校高学年になってからは、より一層、身を入れて練習に励んだ。父が「そんなにピアノが好きならもっと良い環境で学んでみればいい」と言ってくれたので、地元のピアノの先生のつてで、音大の教授のレッスンを受けさせてもらうことになった。
教授はとても熱心な方で、ほとんど毎日わたしをレッスンしてくださった。毎日のレッスンはとても楽しかった。教授のもとに毎日一時間かけて通うのは肉体的にはしんどかったけれど辛くはなかった。それどころか通えることが嬉しかった。教授は温厚で優しい人柄の女性だったが、レッスンに関しては手を抜かない人だった。とても教えることが上手で、理想的な教授だったように思う。
とても良い教授と出会えたわたしは本当に幸運だった。その証拠に、わたしは同世代の中では群を抜いたピアニストであったし、コンクールに出場すればそれなりの結果を残せるだろうという自信もついていた。教授はわたしによく、コンクールに出場するようにと勧めてくれたが、わたしはなかなか出ようとは思えなかった。教授や父を含め、わたしの周りの人はそのことを残念に思っていたようだ。
高校に入学してからは、周囲の声に押し切られるようにして、わたしはいくつかのコンクールに出場するようになった。コンクールでの評価は概ね良好だった。母の演奏を追い求めることに比べて、コンクールで評価してもらえるように演奏することは容易だった。
それからは、日増しにわたしに対する世間の注目度が上がっていくことを実感していた。世間に認められると言うことは、わたしの自尊心を満たしてくれた。そのこともあって、コンクールに出場することに対する抵抗は徐々に薄れていった。
コンクールに出場することに抵抗を抱いていた理由は、母の音楽を世間に発表することが嫌だから、というものだった。わたしの音は母の音を意識したものだったし、わたしは母の弾く一音一音にたいして忠実に弾こうと心がけていたのだ。そのため、わたしがコンクールに出場してピアノを弾くと言うことは、わたしにとって母の音楽を、それも劣化した音楽を晒すことでしかなかったのだ。とはいえ、この考えはもはやわたしの心の隅へと追いやられてしまっていた。
コンクールに出場することが日常の一部に組み込まれ出した頃には、「天才」と世間から呼ばれているわたしがいた。世間がわたしに求めるものはどんどん大きくなっていったが、わたしにとってはどうでもいいことだった。母の音を追い求めることに比べれば、周りの期待に応えることなど些細なことに過ぎなかった。
高校最後の年には、日本で最大のピアノのコンクールに出場できるようになった。父は大いに喜んで会社の同僚達に自慢したらしい。わたしもとても誇らしく、そして珍しく緊張した。
コンクールの当日になっても緊張は治まることはなかった。いや、むしろひどくなっているくらいだった。ガチガチに緊張していた父がそう言うのだから、相当緊張していたのだろう。
しかし、ピアノを前にすると、そんな緊張はなくなっていた。鍵盤に触れると、いつになくしっくりとくる感覚があって、自分の調子がいいことがわかった。わたしは一音一音を噛みしめるように奏でた。ピアノはわたしの意思を正確に表現してくれた。自分の演奏なのに、音が耳に届くと、とても心地が良く聴き入ってしまう。
しばらくして、この演奏は、自分ではない誰か別の人が演奏しているように感じた。そしてその「別の人」とはまぎれもなく母だった。母がわたしに乗り移り、わたしの手を使って弾いているのだと思った。とても気持ちがよく、気分が高揚していくのを覚えた。
わたしの体内は次第に火照っていった。溶けてしまいそうなほど暖かいまどろみに浸っているようだった。既にピアノを弾く指の感覚がなくなっており、わたしはただ観客として曲の中にのめり込んでいった。時間という概念から逃れ、永遠にこの時間を過ごしていたいと思った。感覚が麻痺しているという感覚が流れ込んできて、さらにわたしの体を熱くしていった。
無数の光を集めて輝く宝石箱のように奏でられた音色は、間違いなく母の奏でるピアノの音色だった。強く激しく、優しく弱く。
美しい音の数々を乱してはならない。壊してはいけない。丁寧に丁寧に。それでいて強く激しく。
コンクールが終了し、わたしはいつものようにインタビュワー達に取り囲まれた。いつもの倍の人数はいるのではないだろうか。このコンクールの大きさを改めて実感した。インタビューはいつも通りの内容ばかりで、そう面白くはないのだけれど、気分が高揚していたわたしはいつも以上に愛想よくインタビューに応じていた。
「尊敬している人は誰ですか?」
「母です」
わたしは何の疑いもせずにそう答えた。自分が何と答えたのか分かっていなかったように思う。
「お母さんのどういったところを尊敬しているのでしょうか?」
「はい、わたしは母のピアノの音に憧れてピアノを弾き始めたんです。だから母の弾くピアノは今もわたしの理想ですし、そう言った意味で母を尊敬しています」
「お母さんはさぞかしピアノがお上手なのでしょうね」
「はい」母がほめられているような気がして嬉しくなった。
「では、あなたの弾くピアノはお母さんの影響を受けているんですね?」
「はい。母のピアノの音はわたしにとっての太陽なんです。母を越える事なんてわたしにはできません」
「どうして?」
「・・・・・・」
ああ、もはや取り返しのつかないことになってしまった。わたしは自分がとんでもない失態を犯したことにようやく気がついて話すのをやめた。どうしてよいのか分からなくなり、ひどく混乱した。
どうしてあのとき、わたしは母のことを話してしまったのだろうか。いつもならば「尊敬している人は?」という問いに対して、モーツァルトや内田光子といった当たり障りのない人物の名を上げていたというのに。
それから、わたしがコンクールに出ることはなく、教授の元にも行くことができなくなった。人の前で演奏することができなくなってしまった。それは、父の前でさえも変わらない。自分とピアノしかない時にだけ、わたしは演奏することができた。
演奏自体は上手くいくこともあるし、いかないこともある。人前でさえなければ、以前と変わらずに弾くことができる。それでもわたしは以前との違いに気付かずにはいられなかった。その気付きがわたしをさらに深い混乱へと導いた。
父や教授、わたしに関係する人たちの失望がひしひしと伝わってくる。期待を裏切ってごめんなさい。でもそれはわたしにとって、どうだっていいことなんだ。そう、どうだっていいこと・・・・・・。わたしにとって必要なことではなくなってしまったのだから。
わたしは母の音楽を深く理解したいと思った。深く深く。もう、どうしようもないくらいに近づきたいと願った。その他のことはどうでも良かった。母の奏でるピアノの音色に溶けてしまいたかった。音という音を求めることがわたしの生き甲斐となった。
その日は特別な日。そこは真っ白な空間で、真っ白なピアノがあった。あまりに白かったので、わたしは用意されていた黒、つまりチョコレートを口にした。口の中でチョコレートが溶けていく。ゆっくりゆっくり、わたしはチョコレートの甘さを感じ取っていく。理解していく。チョコレートの甘さがわたしの脳を刺激する。強く激しく、優しく弱く。それはもう、蕩けてしまいそうなほどに。
一音一音かみしめながら弾き始めた。どんどん体が乗せられていくのが分かる。壊してはいけない。丁寧に丁寧に。それでいて強く、激しく。弾き続けろ!
いつしかその音たちは、わたしの快楽へとつながっていく。
チョコレートが甘い。チョコレートが口の中で溶けていくように、わたしも蕩けてしまいそうになる。気持ちがいい。気持ちがいいのだ。
母の奏でるピアノの音色の中に溶けてしまいたかった。母の音と混ざり合ってわたしではなくなってしまうことが、わたしの望みだったのだと気づいた。
ピアノの音たちはわたしを快楽へと導く。
母の音と限りなく一つになる。深く理解する。わたしもその一部となる。
チョコレートが溶けきったとき、わたしも完全に溶けてしまった。
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