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「『彼女』達との暇つぶし」 可児江

  • ritspen
  • 2020年5月1日
  • 読了時間: 10分

 僕には友人がいない。幼少期から体が弱く、学校はおろか、病院の外へ出たことがほとんどなかった。

 クラスに一応の籍は置いてもらえていたが、僕はクラスメイトのどの顔と名前も一致しない。

 大抵、こう言うと、「大丈夫、両親が君の味方だよ」と返される。確かに家族の縁は、血縁として深く結ばれているものだろう。一般家庭だったら。

 僕が中学に(一応)進学したある日、病室の外で母のそれまでは自分に見せたことのない一面を垣間見た。

「私だってあんな子、産みたくなかったわよ!!」

 電話の相手は父のようだった。母の口からは嗚咽混じりのどろついた台詞が流れていた。それまで優しくて強い家族と信じていた母親像は一瞬で瓦解した。それを頭で理解した瞬間、すべてのことがどうでもよくなった。

 希望なんて言葉はお飾りでしかない。目の前ににんじんをくくりつけられた豚のように、永遠に届かない夢物語を追い続けている感覚でしかないのだ。

結果として、それから僕は極度な人間不信に陥ってしまい、現在孤独を愛する大学二回生になっている。

 そんな僕にも、最近普通の人間らしい出来事がおきた。なんと『彼女』ができたのである。それも複数人。

 世間的にはあまり好ましくないだろうが、もとより自分が普通でないと分かっていた僕は倫理観など気にもとめることはなかった。

 最初に彼女達の存在に気がついたのは、大学進学が決まった四月。巡回の看護師さんが開けてくれた窓からこぼれる春風にゆられるカーテンを見つめていたときのこと。

呆けていた自分の視界の端に、ふと何か映った。

 何かと思って目をおもむろにこすり、踊るカーテンの隙間を見つめる。

そこには、一人の少女がいた。歳は僕と同じくらいで、つややかな髪は傷むことを知らないかの如くサラサラしている。表情からは、冷静沈着さが伺え、そのすらっと伸びた足は、一つの芸術作品を思わせるほどに、洗練されて美しかった。胸元は多少控えめな気がしたが、それさえも彼女を際立たせる要素になっている。

 開けていた窓からこぼれる桜が、彼女の頬を、髪をそっと撫でてから僕の元までひらひら落ちてくる。

そこからは、桜の香り以上に、彼女のものと思われるラベンダーの心を安らかにする匂いが混ざっていた。

「あ、あのー」

 どれほど硬直していただろうか。気がつくと僕はとっさに彼女に話しかけていた。すでに、本の登場人物や母親、看護師達にはない、その魅力に捕らわれてしまっていた。

「……」

 しかし、いくら話しかけても、彼女がそれに応える様子はなかった。それどころか、僕の方を見ようともしない。

 しばらくは試行錯誤していた僕も、やがては諦め枕元にあった本に手を伸ばした。正直集中など全くできていなかったが仕方がない。このまま彼女を見つめ続けているのもどうにも気が引けた。

 疑問は山の様にあった。なぜ突然目の前にこんな女の子が、とかどうして僕の病室に、とかそういったのがわんさか沸いてくる。が、そのときは久方ぶりの(それに美人の)来客に少し心が躍っていたのだろう。このおかしな状況を意外と脳はすんなりと受け入れていた。

 暇な時間でなんとなく受験勉強して、通学しなくてもPCで授業を受けられる、奨学金付きの大学に合格した僕へのささやかな神からのプレゼントだと、楽観的に考えていた。まだそのときは────

 それから、大体一時間くらい経過したころのこと。

「!?」

僕は驚きと共に本を放りだして先ほどのカーテンを見やった。そこにはあのスレンダー美人の姿は一切ない。

代わりに、なんと別の少女が立っていた。

 瞬きを何度しても、頬をつねっても先ほどの彼女が戻ってくることはなかった。しかしその摩訶不思議な光景に脳が麻痺していたのか、動揺はすぐに消えた。

 口元に手を当てつつ、正面にいる彼女をじっと観察し始める。

 今の彼女は、先ほどの彼女ほど、見る者を魅了する力はなかった。その分、今の彼女は、他人を元気づけるエネルギーに満ちあふれていた。

にっ、と頬のえくぼがくっきり残る笑顔は、宗教画の天使を連想させる。

 また、体つきも前の彼女と正反対だった。健康的でほどよい肉付きと、それらが合わさって描かれる曲線美は、これまた引き込まれるものがある。

「あの……どうして、ここにいるのかな?」

 先ほどと違い、すぐに話しかける僕。その視線と視線は、しっかり彼女と交錯していた。

 が、望んでいた結果は得られない。彼女がその口から言葉を発することは一度たりともなく、ただ微笑むばかりだった。

 思わず口からきれいだ、と言葉がこぼれ落ちそうになる。実際に女性を見る機会が、全国の男性と比較すると少ない分、とりわけ容姿が整った女性に目がないのかもしてない。それに、彼女達がこの僕の孤独を癒やしてくれるような直感もあった。

この、退屈に満ちあふれた、つまらない惰性に満ちた日常を。

 それからも同様に、一定の時間が経つごとに様々な少女達が、入れ替わり立ち替わりそこに立ってくれた。決して別の場所に移動することもなく、現れないなんてこともない。はじめ戸惑っていた僕も、そのうち彼女達を冷静に分析するようになった。

 まず一番目や二番目のように、少女達一人一人には違った全く違った個性が備わっていた。顔立ちも、体型も千差万別だった。また、彼女達の交代には、決まりが存在するらしく、総員十名がそれぞれ規則的に現れた。

しかし、その周期の中で最後の二回は特別で、はじめに一番目の子とそれとうり二つな子が一緒のとき(双子か何かだろうか)、次に一番目と二番目の子が共に登場するといった感じになっていた。つまりそれも含めると十二パターンが存在することになる。

 服装は決まって制服、それも僕がいた学校のものか、小説の表紙にあるようなオーソドックスなセーラー服が基本だった。季節に合わせてしっかりと衣替えしているところを見ると、よくできているなと変に感心させられた。

 四季の移ろいはあったが、彼女達が僕の元から去ることはなかった。僕も、しばらく観察をしていくなかで、いくつかのことに気がついた。

 さらには、僕以外の人間には全く彼女達のことが見えないらしいということも気がついた。両親が来たときも、彼女達を見る様子もなかったし、看護師が巡回する際、気にもとめなかった。朝から夜までそんな少女達がいて、誰も口を出さないのはおかしい。

 最後に(これは一番分からない部分が)、彼女たちの入れ替わりのタイミングである。見てやろう見てやろうと思っても、入れ替わる前と後が一緒に現れることはなかった。このことばかりは、今の自分の持ち合わせている知識の範囲内では答えを見いだすことができなかった。

 こうして、僕と彼女達の奇妙な同居(?)生活は続いていった。

小説だったり勉強だったりをしていて、少し気分転換をしたいときには、彼女達に話しかけていた。無論たまに来る人は、そんな僕に異常者を見る目を向けてきていたが、僕にはそんなこと知ったことではない。決して返事をしてくれるわけではないが、いつでも話を聞いてくれる彼女達は、存在が癒やしであった。

 一年ほどいると、なんとなく彼女たちが言いたいことが自分の中に伝わってきて、その存在がより身近に感じられた。家族でさえも、ここまで自分と一緒にいてくれなかった。仕事やなんだと理由をつけて息子から逃げてきた愚かな人間よりは、よっぽど信頼がおける。異常が日常になる感覚が、知らないうちにこの環境を僕の普通にしてくれた。

 そんな彼女達が、その一年で愛おしく、愛らしく、初めて人に触れて心が芯から温まる感覚を味合わった。

そうしていつしか僕は、傲慢にも彼女達のことを勝手に『彼女』として捉えるようになった。

 大学二回生の夏、僕はある手術をすることが決定した。

 医者が曰く、この手術とやらの成功率がとても低いらしい。五年生存確率がどうやらとか、長ったらしい説明を親と何度も受けた覚えがある。もう『彼女』を除くすべてのことへの興味が皆無だった僕は、記憶があやふやで、自分の病名すら言えるか怪しいので、はっきりとしたことは分からない。

 唯一覚えているのは、受けなければ死ぬし、受けたとしてもほとんど助からないということだけである。

 耳の奥で、母親の形をした他人が、わざとらしくすすり泣きする音が反響していらだつ。父親は相も変わらず社会の歯車として奔走中だそうだ。

 しかし、そんな手術の日が迫ってきても、当の本人の感情は普段と何も変わることはなかった。

もとより人生に諦めがついていた自分がどうなろうと──、といったネガティブが占めた思考が蔓延している。唯一、以前までと違っていたのは、いつも通り彼女達を見つめ、話し、笑う……。そんな一方的でささやかな生きがいを奪われることに、心残りがありそうな僕がいたことだ。

 結局、『彼女』達はきっと受験合格のプレゼントではなく、死ぬ前に人間らしい感情を動かしてあげよう、といった神様のお情けだったんだろうと、つまらない納得をして、手術を待つ日々を過ごした。

 手術前日。

 僕の体は、自由があまりきかなくなっていた。チューブが体のあちらこちらに刺さり、時に異常なほどの眠気が襲ってくる。寝ては起きて、起きては寝てを延々繰り返す。輪廻の地獄が脳をよぎった。

 それでも精神が安定していたのは、いつもと変わらず映る彼女達の表情があるからだろうか────

 深夜。

 再び目が覚めてしまった僕は、視線をいつもの場所に移す。

 そこには最初の、一番目の彼女が月光に照らされてたたずんでいた。

「……綺麗だ」

 そう、不意につぶやいた。あのとき伝えられなかった言葉を。

もちろん彼女はぴくりとも反応しない。そのまぶしい顔を淡々と見せつけてくる。

 それからは無言で彼女と月見を楽しんだ。青白い光に髪を反射させる彼女を眺めるだけで、みるみる体力気力共に回復する錯覚があった。今すぐこの体につけられた忌々しい鎖を断ち切りたいと心が叫んでいる。

 しかし、感情がいくら高ぶっても、体はさびたブリキのごとく動きだすことはない。きしむ音すらしなかったので、ブリキ以下なのかもしれない。

そんな満身創痍な僕は、繰り返す悪夢にうなされる前に、最後の力で彼女への言葉をしぼりだした。

「あのさ……僕、明日手術なんだ」

「…………」

「正直、自分の命なんてどうでも良かった。だって生きていても意味がなかった様に感じられたから」

「…………」

「親からいらない子扱いされ、なんとなく大学を受けて受かって──。でも、結局それすら親の自己満足に過ぎなかった」

「…………」

「でも、ね。君たちのおかげで、若干生きてて楽しいって気になった。もう少し、君たちを見ていたい」

「…………」

「手術が成功するかどうかは分からない。だから一つだけ聞いておきたい」

「…………」

「君たちは、誰なんだい?」

「…………」

「僕をここまで気にしてくれた君は一体何者なんだい?」

「…………」

 これまで聞きたかったけど、あえて聞かないでいた質問。僕はここでそれを聞いておくことにした。

 できれば彼女達全員に、同じ質問を問いかけたかった。しかし、こんな体の都合上、どうしても全員は無理だろう。それにこの一番目の彼女にこの質問をすることは、他の子にもするのと同じような気がした。

 そっぽを向き続ける彼女。その表情をなんとかのぞき込もうとする僕。そんな対峙が数秒、数十秒、数分と続いた。

 沈黙は夜の病棟に溶け、冬なみの肌寒さを演出してくる。感覚がないはずの肌に、緊張、焦り、不安が突き刺さり、体が冷えていく。昔元気だった頃に見た、道路で車にひかれた黒猫の死体を見たときの死の感覚に似ていた。

 突然だった。

「っっ」

 一瞬、一瞬だったが、彼女がこちらを振り向いた。彼女のその表情は……

「───ははっ。そんな表情もできるんだ」

あの鉄仮面の『彼女』が微笑んだ。まるで、二番目のように。瞳は光を反射して、たまった潤いを強調している。僕のために泣いてくれいるのか。

そのまま、彼女の口がゆっくりと動く。しゃべりたての赤子のように、何度も何度も言いかける姿がかわいらしい。

そして────

 パリンッ

 何かが割れるような音がした。突如彼女が消える。あっさりと、あまりにもあっさりとした消え方。シャボン玉のように何かがはじけた。

それと同時に僕の緊張の糸がほどけた、急激な眠気が、僕の意識を狩ってくる。

……

 ……

 ……

 ……

「ねえねえ、知っている? あの陰キャ眼鏡の大学生。死んじゃったんだってさ」

「ああ、知ってるよ。もともと手術の成功確率も低かったしね」

「でもね、これは噂なんだけどさ、彼が手術受ける日の朝、めっちゃ間の抜けた顔してたらしいよ」

「え? ホント?」

「そうそう。なんて言うかー、何か大切なものを壊しちゃった子どものような────」

 彼がいなくなった病室にはすでにだれもいない。あるのは、彼のいたベッドと、風にあおられ落ちたのか、ガラス面が割れ、表示された数字が狂ったシンプルなデジタル時計だけだった。

 
 
 

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