『死んだと思っていた推しが生きていた話。』 鎖骨
- ritspen
- 2021年3月20日
- 読了時間: 7分
死んだと思っていた推しが生きていた話。 鎖骨
本文は某雑誌に掲載されていた永江拡樹くんのインタビュー記事を読んだ元ファンの主が、自分の気持ちを落ち着けるために書いたものです。ほぼ自分語りの乱文なうえ、インタビューのネタバレになる部分もあるかと思います。それでも大丈夫な方はこのまま読んでいってください。
一 推しとの出会い
十二年前の二〇〇九年。普段なら目もくれないでチャンネルを変えていただろう歌番組に、その日は不思議と目がいった。テレビに映し出されたステージで歌を歌っていたのは、デビュー曲を歌っていた若手アイドルグループ。「week」だ。正直歌なんか全然うまくなくて、歌いながらダンスをするのに精一杯のように見えた。そのなかで、ふと目で追ってしまう子がいた。それが永江拡樹だ。彼は後方の列にいて、言葉を選ばずにいうならば「人気がない人のポジション」にいた。でもそのなかで彼は誰よりも必死にパフォーマンスをしていた。笑顔を絶やさず、丁寧にダンスを踊って、カメラが来ればしっかりとカメラに目線を向ける。その姿が無性に眩しくて愛しくて、次の日私は彼らのCDを買っていた。それが私の推し、永江拡樹との出会いである。
二 生まれて初めて何かにハマる
それからの私の行動力は驚くものだった。weekのファンクラブに入会したり、取り上げられている雑誌は全て購入したり、出演する番組は欠かさずチェックしたりした。生まれて初めて夜行バスに乗りライブに行って、趣味を通じて友達が増えた。私は、生まれて初めて何かに「ハマった」のだ。それまでは碌に趣味を持たなかった私のハマりように、家族や学生時代の友人は目を丸くした。
weekの中では、永江はメディアへの露出は少ない方だった。それでも、その少ない露出のなかで語られる彼の言葉の端々から、彼はグループのなかで一番「アイドル」を、「アイドルグループweekのメンバーであること」を大事に思っているように感じられた。アイドルweekの永江拡樹はいつもキラキラして、トークではリーダーのあーさんや同期の修二くんにいじられる可愛い系。ダンスや歌の技術は自称グループ内ワーストだけど、努力家で、一番早くレッスンに来て、一番遅くまで残って自主練をする。それが、私の好きな永江拡樹だった。
握手会に行った時のことは今でも鮮明に覚えている。過度の緊張で顔が真っ青になった私を見て「はじめまして、顔青いけど大丈夫?ここちょっと寒いよね」と言ってくれた。何とか声を振り絞って「応援しています」と言ったとき、永江くんは「ありがとう、すっごく嬉しいです」と笑顔で返してくれた。それが何よりも嬉しかったし、何か辛いことがあった時は、その時の永江くんの笑顔を思い出して頑張れた。
オリコンチャーでト首位になった時は自分のことのように喜んだし、新しいお仕事が増えるたびに声を上げて喜んだ。weekが、永江拡樹が、間違いなく私の生きがいだった。とにかく、大好きだった。
三 メンバーの不祥事
その日私は久しぶりに残業をせずに退勤できてルンルンだった。帰りの電車の中でスマホを触りながら、明日はグループ全員で特番の生放送だなとか考えていた。
ピコン、と音が鳴った。ニュースアプリからの通知だった。なんだろうと思いタブを開く。そこに書かれていたのは、「人気アイドル 逮捕」の文字。その文字の上にある写真に写った、当時グループで一番人気だったメンバー(ここで名前をあげるのは敢えて避ける。知らなかったら各自weekのWikipediaでも見ればいい)の顔。私は、何がなんだか分からなかった。
内容としては、weekのメンバー1人が薬物乱用で捕まったという内容だった。あってはならないことだけど、有り得ない話ではない。私はそんな感じに思っていて、ああでも明日の特番は出なくなるかもしれないな、くらいのものだった。逮捕されたのは推しではないし、彼がいなくなっても他のメンバーで活動は続けるだろうと、そう思っていたのだ。
事務所からの声明が出るまでは。
四 week 解散
七日後、逮捕されたメンバーの契約解除を報告して以来沈黙を続けていた事務所がweekの今後についての声明を発表した。そこには、「今月末をもってweekは解散する」「今日以降の番組出演などの予定はない」「今後の活動は各メンバーに一任する」とあった。
意味が分からなかった。
「いつか終わりが来る」とは、ドルオタの先輩が私にかつて言った言葉だ。いつか終わりが来たとしても、最後まで笑顔で彼らのことを応援し続けようと決めていた。けれども、こんな終わりはあんまりじゃないか。そう思った。
私は、生まれて初めて出会えた大好きな存在に、最後のお別れもできなかった。
五 永江拡樹のその後
これといった挨拶の場も用意されずに解散を迎えてしまったweekのメンバーは、それぞれの道を歩んでいった。芸能界を引退するメンバーもいれば、タレントとして活動するメンバーもいた。そのなかで、私の推し永江拡樹はただ一人今後もソロでアイドルを続けると発表した。「アイドルでいたい」、彼はそう言ったのだ。
彼の言葉に、大方のファンは喜んだ。自分の好きなアイドルが、これからもアイドルとして活動しますと言うのは嬉しいことだ。でも、私は喜べなかった。私は「weekの永江拡樹」が大好きだったからだ。私はweekのみんなで鬼ごっこをして逃げ回る永江拡樹が大好きだったし、あーさんや修二くんにいじられたときにふにゃっと笑う永江拡樹が大好きだった。二十分しかないトークパートをこうちゃんとツーリングに行こうねと約束しただけの話で十五分も尺を使ってしまったり、サエさんとのぶに貰った服を嬉しそうにラジオで自慢したりする永江拡樹が大好きだったのだ。
私が大好きで大好きで仕方がなかったweekの永江拡樹は、私のなかでは死んでしまった。私はそう思った。
そうして、彼がソロアイドルとして徐々に活躍し世間に注目されていくなかで、私はひっそりと彼のファンを辞めた。同士との交流ように使っていたアカウントも削除して、特別仲の良かった子数人にだけ新しい連絡先を渡した。
六 友人からの連絡
私がファンを辞めてはや数年、ある日突然、友人からラインが来た。かつて一緒にweekのライブに行ったりしていた、当時からの友人だ。「この雑誌を買ってインタビューを読んで欲しい」というメッセージとともに、URLが送られてきた。それは雑誌の購入ページで、表紙には、柔らかな表情でこちらを見る永江拡樹の姿があった。思い出の中のそれとそう変わらない彼の顔つきに、私は「不老なんか?」と思った。少しの間逡巡して、わざわざ「嫌だ」という理由を説明する面倒くささと、まあこの値段なら買ってもいいかと思わされた三桁で収まる金額を理由に購入ボタンを押した。
翌日、家に雑誌が届いた。読み終わって、もう一度読み返して。そして泣いてしまった。「アイドルとして」と題された彼のインタビューの中には、私が大好きだった「weekの永江拡樹」がいた。
インタビューの中で繰り返し彼が語ったのは、彼の貫いてきた「アイドル論」だ。アイドルとはどういう存在を指すのか、それになるにはどうしなくてはいけないのか。それは、まさに彼がデビューしたとき、weekにいた時に実践していたことだった。彼の中で、weekはまだ続いている、彼は今もweekの永江拡樹としてアイドルでいるんだ。私にはそう感じられた。
もちろん、これはただのweekが好きだったいわゆる懐古厨的な歪んだ捉え方なのかもしれない。けれど、それでもいいのだ。世界は、認識によって成立するのだ。あーさんもそう言っていた。「お客さんの前で起こることこそが真実、それがエンターテインメントの真髄であり本質」と、永江もインタビューで言っていた。だから私がそう認識したのなら、できたのなら、もうそれでいい。私の推しは、生きていたのだ。
インタビューを読み終えて、今私は彼が主演を務める映画の公式サイトを見ている。映画の公開初日には、舞台挨拶をするのだという。何としてでも、チケットを入手しなくてはならない。
コメント