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『リモート・コントロール』 大保江冬麗

  • ritspen
  • 2021年3月20日
  • 読了時間: 6分

リモート・コントロール     大保江冬麗


『僕と付き合ってください!』

 大学一回生のとき、私に告白してくれたのは同回生の男の子だった。私は喜んで告白を受け入れた。彼とは大学の授業で出会ってから、三か月ほどの仲だ。明るく、親切で、顔も良い。でも、そんなことよりも、私を選んでくれたということが嬉しかった。

 付き合ってみてわかったことだけれど、彼はとても素晴らしい人だ。それがよくわかる。彼は私の変化に逐一気づいてくれるのだ。

彼と過ごすことが増えて、私は今まで使っていたシャンプーよりも少し高いものに変えた。自分にはちょっともったいないかも、なんて思いながら奮発したのだった。後日、私の家でおうちデートをしたとき、彼は私の隣に座って何気なく髪の香りについて触れてくれた。

私は嬉しくなって、その日はずっと自分の髪を撫でていた。私は彼の肩に頭をのせたり、隙をついて膝枕してもらったりした。そのたびに彼は、本当に愛おしい感じに私の髪を撫でてくれた。あぁ、シャンプーを奮発して買った過去の私! ありがとう!

このことがきっかけで、私は色んなものを新しくした。ネイルとか服とか靴とか。大学生でお金もないから、それほど多くのものが買えたわけじゃなかったけど。そうしたものに彼はちゃんと気づいてくれる。それも出合い頭に言うんじゃなくて、私が気づいてほしいと思った瞬間に、私の心を読んでいるんじゃないかというようなタイミングで、私が求めていた言葉かけてくれるのだ。

だから、彼は私の求めていない言葉は決して口にしない。デートでカフェに入って、ケーキを食べる機会が多くなったことが原因で、私の体型は前よりも少し柔らかな感じになっていた。『ちょっと太った?』なんて彼は冗談でも絶対に言わない。彼はまさしくパーフェクトだ。

彼と付き合い始めて三ヵ月が経った。ちょうど三ヵ月が経ったのだ。今日は彼と付き合い始めて三ヵ月の記念日。でも、珍しく彼は私のその気持ちに気づかなかった。私がこんなにも記念日を祝うことを願っているのに。彼とは朝から短いメッセージのやり取りをしている。それでも彼は記念日であることを話さない。

窓の外で日が沈みそうになってくると私はとても腹が立ってきて、彼が記念日だと気づくまで絶対に返信してやらないと思った。ベッドの中に潜り込む。

机の上のスマホがピロン、ピロンと揺れる。しばらく、通知音だけが私の部屋に響く。メッセージすら見てやるものかと思う。けれど私は気になって、ちょっとだけスマホの画面を見る。

『どうしたの?』

『何かあった?』

 私は返信しなかった。しばらくして、スマホがピロンともならなくなった。そしたら私はもっと、ずっと腹が立ってきた。彼とはもう別れてしまおうなんて思った。

 私は彼のことを信じられず、でもいてもたってもいられず、電話した。事情を話すと電話先の相手は私を落ち着かせようと優しく話してくれた。

「今日は記念日なのに。いつもなら、ちゃんと私の思った通りにしてくれるのに」

『大丈夫ですよ。心配しないでください。彼はきっとあなたを満足させてくれるはずです。でも、大学生ですから。そうしたところも魅力なんです』

「彼が社会人になったら、もっとちゃんとしてくれる?」

『それはわかりませんね。でも、きっとなってくれますよ。今でもきちんとしている方なんですから。あなたをちゃんと大切にしてくれますよ』

「そうかしら――」

『不安でしたら、私の方から言っておきましょうか』

「やめて! 彼は気づいてくれるもの」

『えぇ。気づいてくれます。大丈夫ですよ』

 大丈夫。大丈夫? 私は頭の中がぐるぐるしてきた。

 そんなとき、ピンポーンとインターホンが鳴った。私は反射的に彼だ、と思った。

「帰って!」

 そう叫んで、ベッドの中にもぐりなおした。それから、インターホンは鳴らなかった。スマホからは『どうしました?』『大丈夫で

ツー、ツー、ツー

しばらくして、私はものすごく悲しくなって、『帰って!』なんて言ってしまったことを後悔して、ボロボロと勝手に涙がでてきてしまった。私はベッドの中から出られないまま、しばらく何もしない時間を過ごした。

 日はとっくに沈んで、私は酷くお腹が減っていた。冷蔵庫を開けて、水を飲む。水をしまってから、冷蔵庫の中を覗き込むとお腹を満たせそうなものは全くなかった。私は彼と夕食を食べる気満々だったので、ご飯も炊いていない。私は仕方がなくコンビニに行って何か買ってこようと思った。彼と付き合ってから、私がそんなことを思うのは初めてのことだ。なんだか自分がどんどん惨めになっていくようで、辛かったけれど空腹には逆らえない。

 ドアを開けると彼が居た。私はびっくりして呆けた顔をしてしまっていたと思うけど、そんな私の顔を包み込むように、彼の身体が目の前にきた。私は彼の両腕と硬い胸に包まれていた。

『大丈夫?』

『心配したんだよ』

 と彼は言った。私はぼろぼろと熱い、後悔とか喜びとか、溢れてしまった。同時にお腹もなってしまった。顔も熱くなった。『ご飯にしよう』と彼は言った。

 私は彼が買ってきてくれたシーフードヌードルを食べた。そして、彼はちゃんと三ヵ月記念のお花も買ってきてくれて、部屋に飾ってくれた。

 その夜、私は彼を抱き枕にするようにして一緒に寝た。彼はまるで抱き枕になりきったようにいびきもたてず、寝返りも打たず、私の身体にすっぽり包まれていた。

 私たちは付き合って半年になったとき、同棲を始めた。不安もあったけれど、実際に始めてみれば何の問題もなかった。だって彼はパーフェクトだもの。ありとあらゆる不安は杞憂に終わった。

 私は家事全般に自信がなかったし、二人暮らしというものが全く分かっていなかった。でも彼は、テキパキと家事をこなしてくれて、それでいて私にも適度にやることを回してくれた。私と彼は間違いなく支え合って生きている感じがした。これが、同棲なんだと実感するころには仕事の分担にも慣れて、彼と共有する時間もたくさんとれるようになった。

 でも、私にはもう一つ不安があった。それは、彼と一緒にいることに慣れてしまうのではないかということだ。今までは、会えないときがあったりして、だからこそ会えたときの嬉しさや、一緒にいる時間の貴重性が身に染みていたけれど、それがなくなってしまったらどうなるのだろうと思っていた。

でも、彼はやっぱり素敵なのだ。急にお花を買ってきて、部屋を飾りつけてくれたり、『今日は外食をしよう』と誘って高いディナーに連れて行ってくれたり、定期的に私を刺激してくれた。私はその度に彼と一緒にいることの楽しさや喜びを思い出した。

なんでもない日に『これ君に似合うと思って』といって、プレゼントを渡してきてくれたりもした。それはいつものように私の服装やスタイルを見ている彼だからこそできることだった。

彼はずっと私を大切に扱ってくれた。一年、二年と月日が過ぎた。彼は浮気する気配なんて欠片も感じさせなかった。そして、実際に彼は浮気なんて全くしていなかった。

あぁ、なんて素敵な、理想の彼氏だろう。

「でも、ダメだわ」

 私は彼の柔らかな寝顔にそっと手を添えて、彼のうなじに繋がっている充電コードを引きはがした。そして、スマホで彼の販売元に電話をかける。

『お電話ありがとうございます。こちら『アンドロイド』株式会社でございます』

「彼を返品したいの。とってもいい子なんだけど、もう物足りなく感じてるの。だから、もっと刺激的な子はいないかしら。大学生で同い年って設定も、もういいわ。年上の子がいいの。私、お金ならもってるわ。だから――」

『お客様、申し訳ありません。我が社は当商品におきましては、返品交換は受けつけておりません』

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