『What′s my name?』 椎名南瓜
- ritspen
- 2021年3月20日
- 読了時間: 9分
What′s my name? 椎名南瓜
「もう名前決めた?」
「俺はまだー」
「一は?」
「あー、俺もまだ」
「だよなぁ」
そう言って四五はさっき売店で買った焼きそばパンにかぶりつく。六三四もうんうん、と頷いておにぎりを口に運ぶ。
ついこの間も同じような会話をしたなぁ、と思いながら俺、一も冷凍食品の唐揚げを頬張った。
六十年前、政府は生まれてきた子供に名前を付けることを禁止した。キラキラネームの流行により望まない名前で生活せざるを得なくなった子供が増えたから……だそうだ。子供は十八歳、高校を卒業する頃に自分の名前を決める。それまでは学校ごとに決められた学生番号でお互いのことを呼び合うのだ。人を数字で呼ぶなんてまるで囚人みたいだ、と最初の頃は反発もあったらしいが今ではもう当たり前になっている。
自分で名前を決めろ、と言われても難しいもので、中学の頃はひたすら難しい字を使った名前を考えては絶対この名前にする! と息巻いていたが今思い返すとあまりにも恥ずかしい名前ばかりで使えそうなものは一つもない。
「やっぱつけるならかっこいい名前がいいよなー」
六三四が言う。
「かっこいい名前って例えば?」
四五が聞く。
「うーん……具体的には思い浮かばないけど……」
「なんだそれ」
四五がそう言って笑うと同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「名前、なぁ……」
帰路をポツポツと歩きながら独り言ちる。三年生になってからの昼休みはこの話題になることが増えた。そろそろ名付けの時期だからというのもあってか、日に一回はどこかしらから名前の話題が聞こえてくる。
「普通の名前」でいい、とは思っているが、今まで自分の名前を意識したことなんてなかったし、他人の名前なんてなおさら意識なんてしてこなかったのだ。「普通の名前」とは一体何なのか何をもって普通だとするのだろうか。俺にはこの「名付け」という行為が社会へ適応できるかどうかの最初の試練のように思えて仕方ない。変わった名前は社会生活に支障が出るのだと、だからこの制度ができたのだと、そう教えられてきたのだから仕方がない。
そんなことを考えながら歩いている内に玄関ドアの前に到着していた。
「母さんと父さんの名前の由来って何?」
今日のメインメニューであるハンバーグをつつきながらふと話題に出してみる。
「どうしたの急に」
母さんが怪訝そうに言う。
「いや、今日学校でその話題になってさ」
「そうか、もう名付けの時期か」
父さんがビールを飲みながらニヤニヤと笑う。
「まぁ、そういうこと」
なんだか気恥ずかしくなって口いっぱいにご飯を頬張った。
「名前の由来ねー、なんだったかしら」
あんまり深く考えずにつけたから……と母さんが言う。
「父さんはその時ハマってたマンガのキャラクターの名前だな」
「へぇ……」
「そんなに深く考える必要なんてないと思うわよ」
「そうだぞ。なんだかんだ言いながら普通の名前に落ち着くもんだ」
その普通の名前が何か分からないから困ってるんじゃないか。そう思ったが何を言っても大した答えは返ってきそうにないので「そっか」とだけ返事をしてハンバーグを食べることに専念することにした。
そんな話をしたのがもう半年も前になる。あれ以来両親に名前についてのことは聞いていないし、四五や六三四との会話でも特にその話題になることもなかった。
「今から名前希望用紙を配るから、第三希望まで書いて今週中に提出するように」
そう言って用紙を配られたのが六日前。第三希望どころか第一希望の欄すら埋まっていない紙を睨み付けながら父親の「普通の名前に落ち着く」という言葉を思い出していた。
「思いつかねー」
「まだ言ってんのかよー、まだ確定じゃないんだからとりあえず書いちまえよ」
六三四がそう言ってサンドイッチにかぶりつく。
「なんか無いの? 好きなアニメのキャラとか」
四五はそう言って空になった紅茶の紙パックを小さく握りつぶした。
「アニメなー、昔見てたやつとかならあるけど……なんかしっくりこないんだよなぁ」
うー、と唸ってみせると四五と六三四が「うー」と唸りにハモってきた。やめろよー。ケラケラと一しきり笑い合ったところで四五が改まったようにこちらに向き直る。
「まぁ、どんな名前になっても一は一じゃん」
だから、そこまで重く考えなくてもいいと思うよ。
四五がそう言って俺の肩をポン、と叩いた。
「そうだぜー」
六三四もそう言って反対側の肩を叩く。お前は何も言ってないぞ、と思ったが言わないでおこう。
「ありがと。もうちょっと考えてみる」
「おう」
「おーう」
「とは言ったものの、なんだよなぁ」
考えてみると言ったものの何も思いつくことなく放課後になってしまった。何か参考になるものでもあれば、と図書室に足を運んでみたが本が多すぎて逆に難しくなってしまった。
「どうしよっかなー」
机に何冊かの本と共に埋まらない名前希望用紙を置いてボーっと椅子に身体を預けていると突然背後に気配を感じた。
「名前、決まらないの?」
「そうなんだよー……って誰?」
「あぁ、ごめんね急に。僕は一七」
君と同じで名前が決められないんだ。
そう言って一七はカバンの中からくしゃくしゃになった名前希望用紙を取り出してみせた。俺のものと同じく、第一希望の欄も真っ白だ。
「あ、あぁ……それでどうして急に?」
「名前の参考にしようと思って図書室にきたら同じような人がいたから、つい」
声をかけちゃった。一七はそう言ってヘラ、と笑う。
「なるほど……?」
変な奴だなぁ、というのが半分、同じようなことをしている人が他にもいて安心した、がもう半分だ。
「あ、ごめんね邪魔して」
「いや、大丈夫。もう帰ろうかと思ってたし」
「そうなの?」
「うん。本多すぎて逆に無理、みたいな?」
そう言って名前希望用紙をカバンに突っ込んで立ち上がる。
「ふーん……ねぇ、これから出かけない?」
「え?」
「名前決まらない者同士、出かけてみたら何か発見できるかもしれないじゃん」
「えー……」
「用紙の提出期限も近いしさ、僕も焦ってるんだ。このまま決められなかったらどうしよう、って」
君もそうじゃないの? とでも言うような口ぶりだ。どうして初対面の人間にこうもグイグイいけるんだろう。段々とこの一七という人間に対して興味が湧いてきた。根拠はないが、一緒に行けば何かを見つけられるような、そんな気がした。
気付けば隣町まできていた。
駅に向かって歩きながら、電車に乗りながら、一七とはいろんな話をした。名前のことから好きな芸能人のこと、昨日の晩飯のことまで。今日初めて会ったとは思えないほど話が弾んで自分でも驚いてしまう。
「さて、隣町までやってきたわけですが」
「なに、その喋り方」
「雰囲気だよ、なんか番組っぽくない?」
「そうかなぁ?」
「ま、それは置いといて。これからどうしよっか」
決めてなかったの? 思わず大きな声が出た。てっきりどこか目的地があるのかと思っていたのに。
一七はヘヘと笑って頬をかき、
「とりあえず、どっかで休憩しない? お腹空いちゃって」
と言って駅前のファストフード店を指さした。
「一は、なんで名前決められないの?」
「なんで、って言われると難しいなぁ……」
普通の名前ってなんなんだろう、って思ってたら難しくなったというか……何も分からなくなったというか……。
いざこうしてなんで? と聞かれると答えにくいもので、もごもごと言い訳めいた言葉を並べることしかできない。一七はそんな俺の様子を見ながらポテトをつまんでいる。
「なるほどねぇ。それは難しい問題だ」
「本当に聞いてたか? そういう一七ははなんで決められないんだ?」
「うーん……なんていうか、自分が見えないから、かな」
「自分が見えない?」
「うん」
どんな名前であれそこには何か意味が込められていると思うんだ、と一七はポテト片手に話し出す。
「自分の見た目だったり性格だったりに合う名前を付ける人もいれば、これからそうなりたい、っていう希望を名前に付ける人もいると思うんだよね」
適当に決めた、特に意味なんて無い、って言ってる人もほんの少しぐらいは何かしらの意味を込めてるはずだよ。
一七はズズ、と音を立ててジュースを飲む。
「僕は自分がどういう人間なのかもいまいち分からないし、どうなりたいとも思わないんだ」
だから、決められない。
「……難しい問題だ」
ズズとジュースを飲んでそう言うと一七はヒヒ、と笑った。
「まぁ、小難しく言ってはみたけど、単純にしっくりくる名前が見つからないだけだよ」
君もそうなんじゃないの? そう言うように一七が見つめてくる。なんだか気まずくなって紙コップに残った氷を噛み砕いた。
「人が多い場所に行こう」
いろんな人の名前が聞けたら何かヒントになるかもしれない。一七の提案でショッピングモールへ行くことになった。
「ねぇー、この服どう思う?」
「いいんじゃない?」
「一七! そっち! 敵そっち行ったって!」
「まってよ! あー!」
そんなことをしているとすっかり日が暮れてしまった。
ヒント探しはどこへやら。買い物をしたりゲームセンターへ行ったり、ただ放課後を満喫しただけだ。
「こうやって遊んだの久しぶりだなー」
ショッピングモールの屋上にある小さな公園、そこにあるブランコに揺られながら一七が言う。
「俺もー」
「……結局、名前決まらなかったね」
「あー……」
実を言うと今こうして一七に言われるまで名前のことなんてすっかり忘れていた。そうだった、名前を見つけるために今日はここに来たんだった。初対面だというのに……いや、初対面だったからこそなのか、悩んでいることを吐き出して、目的を忘れてしまうくらいに遊んで……。
「楽しかったな」
ポトリと漏れたそれは紛れもない本心で、そう、俺は楽しかったのだ。
「なにそれ。こっちは真剣なのに」
一七が眉間に皺を寄せて口を尖らせる。その顔がなんだか面白くって吹き出してしまった。そんな様子を見て一七はさらに口を尖らせる。
「馬鹿にしてんの?」
「ごめんごめん。違うんだ」
「じゃあ……」
なんなの、一七がそう言うのを遮って俺は口を開く。
「一七は自分が見えないって言ったけど、俺には一七が見えてるよ」
「……よく分かんない」
そう言って一七は尖らせた唇を横に伸ばしてヒヒ、と笑った。
「一は、自分で思ってるより普通じゃないよ」
「そうかなぁ」
そうだよ、今日がそれを証明してる。
「明日の放課後、名前を出しに行くよ」
「思いついたの?」
「まだはっきりはしてないけど……なんとなく」
「ふーん……じゃあ僕も明日の放課後に出しに行こうかな。それで、出したらまたここに遊びにこよう」
一七の特徴的な笑い声に合わせてブランコがキィキィと音を立てた。
「お、一! やっとか! あれ、第一希望しか書いてないが……いいのか?」
「はい! もう決めたんで!」
「そうか、いやしかし……まぁ、いいか。気を付けて帰るように」
「はーい」
「出してきたよ」
「うん。僕も」
俺たちはたった一つの名前を用紙に書いて提出した。お互いがどんな名前にしたのかは聞かないようにしたが、きっとそれは「普通」の名前なんだろう。
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