「鳥兜」 島綿秋
- ritspen
- 2020年12月30日
- 読了時間: 6分
鳥兜
島綿秋
「あなた、どの型にしますか」
シリコンかなにかで作られた顔が、「慈悲」と名付けられるであろう表情を私に向けた。柔らかな低音が、机の上に置いているパンフレットに落ちていく。
「……ヒト型。そうじゃなくっても、五本指のがいいです」
男は微塵も表情を崩さない。親類、恋人に向けるようなやわらかな顔をしている。赤の他人に。
「ヒト型、ありますよ。モノ型でなくていいのですね?」
「はい」
ヒト型を隅に押しやるモノ型をザッと眺めた。時計、バス停、お掃除ロボット、物干し竿、ほかにもたくさんある。
「感情はどうされますか」
「あ……。すみません、あまり知らなくて。どういうものがあるんですか」
お手本のような手つきでパンフレットがめくられる。感情についての情報が載せられたページでとまった。
「こちらをご覧ください。まず――」
まず、感情を持つ持たないを選択できるらしい。「感情を持つ」ことを選ぶと、さらに内蔵か外付けか選ぶことになる。やはり、大概の人は「感情を持たない」にするらしい。
「――なんせ、自殺大国なんて言われるくらいでしたから。暗い気持ちを生み出す心なんかとは、オサラバしたいと思ったのでしょう」
そんなに追い詰められていたのか、この国は。息をついて伏せていた目を上げると、男と目が合った。「あなたもそうなんでしょう?」とでも言いたげだ。
「感情、残しといてください」
「……そうですか。でも、感情を持ちながら生き永らえるなんて、辛いとは思いませんか」
男がジッと見ているのは、私の目ではない。この施設で着替えさせられた半袖のせいで、傷痕が晒されている。
「自分を傷つけた原因でしょうに。それでもいるのですか」
「いるんです」
努めて口端を吊り上げながら、腕を後ろで組んだ。心を生かすための自傷だと言っても届かないだろう。
「職員さん、失礼ですが、『純正』ですか。感情は?」
「失礼だなんて、滅相もない。むしろ、誇らしい」
男が目を細める。
「私は『純正』ですよ。もちろん、感情は内蔵していません……外付けのものは一応所持していますが」
ポケットから小さな、消しゴムくらいの塊を取り出して見せてくれた。この銀色の塊が感情らしい。
「そうですか……教えてくれてありがとうございます」
いえ。と男は微笑んで、手元の用紙になにやら書き込み始めた。多分、私が通ることになる作業工程が事細かに記載されている。
「……はい。書類、揃いました。これを持ってS3までお願いします」
少し厚みのある、クリーム色の紙を渡された。知っている文字はなく、いくつもの線で作られたコードだけが並んでいる。それが、目の前で礼をした彼が機会であることをまざまざと知らせた。
そして私も、いまから機械になる。
感情≒心を持つことに疲れた人間は、自らを機械化、及びモノ化させる方法を編み出してしまった。「どういう仕組みなんだろう」と調べたこともあったが、頭が痛くなってやめた。ただ、一度死ぬのだろうとは思った。
永遠に続くモラトリアム。電気を流せばたちまち元気の出る身体。自分が望む限り、不全も鬱もない心。
そんなこんなが、当時の疲弊した人たちに刺さったらしい。そして、それが人口の大半を占めていたらしい。抗った人たちは「老害」として早々に処分されてしまった。缶詰にでもなったんじゃあないだろうか。知らないけど。
「あーあ」
施設内マップによると、S3はそこそこ遠い。歩いて歩いてやっとたどり着いた一階の端から、二階に上ってそのまた端に行かないといけない。溜息一つついて階段を上り始める。
今日の朝に通知が来たから、今日の夕方体を捨てる。世の摂理になった流れに、まんまと流されてしまった。
「……あの机」
もしかしたら、元は人間だったのかもしれない。この施設で体も心も失くして、ついでに意識を消された人。
幸せなことなのかもしれない。でも、なんとなく、口減らしのような気がしてならない。
この思いつきを、小説に仕立ててみようかしら。
自然と笑ってしまった。仕立てた小説のせいで、殺されそうになったらどうしようか。それもまとめて本にしてしまおう。
考えている間にL、M、N、……Q、Rと角を過ぎていた。「S3」と書かれた扉が見える。
「…………」
柔らかな手を握って、開いて、ついでに顔をぺたぺた触った。
お別れだ。
ボンヤリ生きていたら、機械になることになってしまった。それを厭って死ぬほどの蛮勇も意気も持ち合わせていない。
「……っぁ」
ふいに、声が聞こえた。左を向くと若い男が泣き崩れていた。
「あぁぁ、やっと、やっとだ……解放されるんだ……」
乾きそうなくらい開いた眼から、瞬きを待たずに涙が零れている。紅潮した頬を伝って、床に小さな水溜まりを作った。こけた頬には似合わない、幼い子供がするような眼が、泣きながらもしっかりと扉を捉えている。
胸がちり、と痛んだ。ずっと見ているとなにかに感染してしまう気がして、男の顔から目を逸らした。
私が見ているのに気付いて、彼は「えへへ」とはにかんだ。そうして、濡れた頬もそのままに部屋に入っていった。
「……私も行くかあ」
「――はい、良い人生を」
「ありがとうございます」
施設から出て、すぐそばにあったベンチに腰掛けた。ずいぶん硬くなった手で頬杖をつく。
「いやー、まさか」
服の肌触りがこんなに変わるとは。大好きな綿なのに、なんだか気持ちが悪い。だぼだぼのパーカーから、金属でできた真っ黒な足が覗いている。
よくわからない金属で作られた身体が、電灯に照らされて鈍く光っている。肌色の素材でできた顔を触ると、ちゃんとまつ毛もついていた。素材は知らないが髪もちゃんと生えている。
「体の色は黒かあ。ゲーム機みたいでかっこい……あ、声変わってないな。すごいや」
冷たくなった喉を触ってみる。声を出しても震えないのが、なんだか楽しい。
「あ、いたいた。あなた、」
「はい?」
施設の制服を着た女の人が歩いてきた。クロスバイクを押している。彼女はポケットから万年筆を取り出した。
「これ、あなたの。入口にあったわ。『五本指』だなんて指定するくらいなのだから、いるのでしょう?」
体中の歯車が勢いよく回る音がする。諦めていた、お気に入りの万年筆が戻ってきた。
「ありがとうございます!」
優しいですね、と付け加えると
「感情がないからねえ」
そう言ってからからと笑った。何種類の「笑顔」が登録されているのか、そろそろ気になってきた。
聞いてみようとして口を開いたが、失礼な気がしてやめた。半端に開いた口だけが残る。
「どうしたの?」
「あっ、あー。あ、その自転車、素敵ですね」
あらあら。呟いて、彼女はやはり笑った。今度は柔らかく。
「これ、あなたの隣の部屋に入っていった人よ、感情のないモノならなんでもいいって言ってたの」
「そうですか……」
解放されたいと言って、成れの果てが人に使われるモノか。胸がギギ、と軋んだ。
同時に、やっぱり人の機械化は間引きだったのかしら、となんとなく思った。リンゴ二個と自転車がどうして同じ値段なのか、いままで考えもしなかったのに。
「万年筆、ありがとうございました」
自然な笑顔を、内蔵された心が邪魔する。ちゃんと笑えているだろうか。
自転車を譲ってもらえないか尋ねてみた。駄目もとだったが快く譲ってもらえた。人だった頃の名前は、朔というらしい。
施設に戻っていく女を見送って、クロスバイクのハンドルを軽く叩いた。
「よろしく、朔さん」
「……」
もちろん返事はない。意識があるかどうかも分からない。
「これからどうしましょうね」
家からは追い出されてしまった。大家さんは、私がモノになると思い込んでいたらしい。半永久の命と引き換えに拠点がなくなってしまった。なにが永遠に続くモラトリアムだ。
「……でも、電気さえあれば生きていけるのか」
自力で発電できるらしいから、なんとかなるだろう。
それに、武器もある。
万年筆をポケットに入れて、朔さんに飛び乗った。
まずは、インクと原稿用紙を探しに行こう。
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