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「花は永遠の夢を見るか」 鎖骨

  • ritspen
  • 2020年12月30日
  • 読了時間: 8分

花は永遠の夢をみるか

鎖骨

『わたしの人生は夢だった

けれど 夜の闇へ 白昼の彼方へ

幻のように あるいは無となって

希望が消え去ったからといって

意味のない夢だったとはいえない

わたしたちが見たり感じたりしてることも

所詮は夢のまた夢なのだから』

綺麗だよリリー、素敵だわリリー。

美しいねリリー、君が好きだよリリー。

みんなが俺にそう言ってくれる。今に始まった事じゃない。もうずっと、俺は美しい。みんなが俺を愛してくれるし、俺もみんなのことを愛してる。

けれど、あいつはみんなとは違う。あいつは、マリーゴールドは、俺に綺麗だも好きだも言いやしない。俺が一番その言葉を口から紡いでほしいのは、他でもない彼なのに。マリーゴールドは、モリフォリウムに夢中だ。俺がこっそり入った聖堂の中で、マリーゴールドとモリフォリウムは出会った。転校してきたモリフォリウムにティーチャーが宿舎の監督生であるマリーゴールドを紹介するため、聖堂へ彼を呼び寄せたのだ。色付(ステンド)硝子(グラス)が落とす柔らかな光が、ふたりの影に色を付ける。ひとが恋に墜ちる瞬間というものを、俺ははじめてこの目で見た。モリフォリウムは本を読むのが好きだった。普段本なんて読まないマリーゴールドが、手当たり次第に図書館の本を読みだした。マリーゴールドとモリフォリウムは、それがごく当然のことのように、自然に、『ひみつのともだち』になった。

妬ましい、羨ましい。

だから、だから、だから。

俺は、モリフォリウムになれるはずだった。

モリフォリウムの夢を見る。

決まって同じ夢を見る。

それはやけに天井の広い温室で、絶えず流れる水の音が心地よい。花にやる水に雨を利用しているのか、温室の隅には水をためるタンクがあった。花たちはいたるところで咲き誇り、様々な香りが混ざり合ってむせ返る程の甘い匂いが空気を包んでいる。見たこともないはずなのに、何処か懐かしい景色。温室の中をよく見ると人影が立っていて、こちらに気付いた人影は私に優しい笑みを向ける。モリフォリウムだ。そしてモリフォリウムは言うのだ、「ずっと待っていたよ」と。

夢はいつも、そこで途切れる。

夏の強い日差しが、聖堂の色付硝子越しに降り注ぐ。リンドウとキャメリアはふたりで聖堂の掃除に勤しんでいた。リンドウは固く絞った雑巾で椅子を拭き、キャメリアは壇上の演台に付いた埃をはたきではたく。

リリーは塵を捨てに行った。彼は普段、面倒な仕事は嫌がってやらない。にこりと微笑んで、「君がやってくれる?」と言うのだ。彼が一言そう言えば 、誰もがいいよと答えるからだ。けれども、今日の彼はいつもと違う。塵捨て場前にある廊下の掃除当番が、マリーゴールドだと知っているからだ。けれども、リンドウは知っている。今日廊下にマリーゴールドがいないことを。マリーゴールドは今日、モリフォリウムのところへ行くのだ。キャメリアは知っている。リリーが少し暗い顔をして聖堂に戻ってくることを。だからリンドウとキャメリアは決めている。早く掃除を終わらせて、リリーをお茶に誘うことを。「そういう日だってありますよ」「甘いお菓子を食べて忘れておしまい」そう言って彼を慰めるのだ。そうして言ってもらうのだ。「君たちは本当にやさしいね」と。その一言を聞くためだけに、リンドウとキャメリアはせかせかと動く。リリーをお茶に誘うために。

「お行きなさいよマリーゴールド」

「モリフォリウムに会いたいのでしょう」

リンドウとキャメリアはマリーゴールドにそう囁く。矢継ぎ早に、声を重ねて。積み重ねて、罪重ねて。

リンドウとキャメリアはこう囁く。

「きっと、モリフォリウムは待っているはずよ」

リンドウとキャメリアは、ただリリーの横にいたかった。

マリーゴールドは夢を見る。

雨の中で、モリフォリウムが両の手を心臓の前で合わせて雨を集めてみせている。

モリフォリウムは体が弱い。だからマリーゴールドは傘を持ってモリフォリウムを迎えに来たのだ。

「モリフォリウム、風邪をひいてしまうよ。宿舎へ戻ろう」

「見てよ、雨だよ、マリーゴールド。この雨はどこからやってきたのだろう」

マリーゴールドの声を無視して、モリフォリウムは言う。

「そんなの、天(そら)からに決まっているだろう」

「天の前は、どこにいたの」

「天の前って……海じゃないのか」

「じゃあ、今この手の中にあるのは海だ」

モリフォリウムは頭上に両の手を押し上げる。

「みて、マリーゴールド。ワタシはいま海を持っている。」

モリフォリウムは笑む。星のように眩い顔をして、くるりとその場で回りながら。手からは水が少し溢れ出る。溢れ出た水は地面に落ちるまでに他の有象無象に紛れ込んで、どれがそれかは分からなくなった。

マリーゴールドは、天から降りる海たちと踊るモリフォリウムを見続ける。モリフォリウムが、こちらを向いてくれるまで。

マリーゴールドは夢を見る。いつまで経っても夢を見る。

シルベチカは祈る。自分の他ならぬ願いが、神に聞き届けられるまで。

静かな聖堂には、長椅子に座るシルベチカのほか誰もいない。燭台の蝋燭が発する光が、聖堂の内から色付硝子を淡く照らした。床からじわりと伝わる冷気が季節の移ろいを無言で告げる。

シルベチカは、モリフォリウムの良き友だ。ルームメイトであるふたりは、もうずっと互いに良き理解者である。

「モリフォリウム、キミは最近ずうっとマリーゴールドと一緒にいるね。随分と『仲がいい』みたいだけれど。」

ふたりで蒼茶を飲みながら、かつてシルベチカはそう尋ねた。

モリフォリウムの手が、ティイカップからついと離れる。

「そうだね、彼は良くしてくれているよ。……いつもワタシが欲するものを与えてくれる。」

モリフォリウムはただ蒼茶を見つめるだけで、それ以上を語らなかった。

モリフォリウムは、いつも多くを語らない。シルベチカも、それは同じだ。

だからシルベチカは、今日も聖堂で静かに祈る。

『踊り続ける星のような暗闇に

慈しみと歪みと穢れの静かな夢で、聖なる不確かなまだ見ぬ夢の中で

月の惑わす夢の中で』

シルベチカは祈り続ける。モリフォリウムのために。

シルベチカは、モリフォリウムに幸せになって欲しかった。

モリフォリウムの夢を見た。

モリフォリウムが、マリーゴールドに手紙をねだる。

「どうしてあなたは何時も手紙だけはくれないの」

口頭で手紙の返事をかえしてみせると、いつも口を尖らせた。その顔を見ると、罪悪感と、ほんの少しの嗜虐心が顔を出す。そして言うのだ。「今度こそは返事を書くよ」と。

「遅くなった、モリフォリウム」

マリーゴールドは謝罪を申し出る。手には蝋で封をした手紙が握られていた。

本当は、何度も何度も返事を書こうとしたんだよ。書こうとして、そうして何時も言葉に表しきれなくて。いつの間にか、こんなにも時が過ぎてしまった。ようやく、モリフォリウムに手紙を届けられる。

手紙を書くよ、モリフォリウム。

手紙を届けるよ、モリフォリウム。

君は私の希望。君は私を導く星。

モリフォリウム、モリフォリウム。

早く、君のもとにいくから。

モリフォリウムは夜を歩く。就寝時間はとうに過ぎている。視界の隅を掠めた聖堂の色付硝子は、光を失いただの石板に成り果てた。

黙々とモリフォリウムは歩き続ける。今日の月は一等綺麗だ。

マリーゴールド、マリーゴールド。モリフォリウムの頭の中は、マリーゴールドのことでいっぱいになっている。

マリーゴールドは沢山のものを与えてくれる。安息も慈しみも、幸福も、そして少しの悲しみさえも。けれど、いつもマリーゴールドは手紙の返事をくれない。モリフォリウムはいつもそれだけの事実に胸を締め付けられるのだ。

「返事をくれないと言うけれど、いつもこうして返事を伝えているだろう。」

かつてマリーゴールドはモリフォリウムにそう言った。

形に残るものなんて、時が経てば風化する。美しく咲く花も、いつかは枯れる。その時に悲しくならないように、想いは形に残したくない。

マリーゴールドはそう言った。モリフォリウムもまた、同じことを思っていた。

この世に永遠なんて、誰にとっても等しく存在しないのだ。だからこそ日々は儚くも美しく、そして愛しい。

けれど。だからこそ、その一瞬の記憶の残片を、よすがを、外部記憶として遺して置きたいと、我儘にもひとは思うのだ。

モリフォリウムは歩き続ける。闇にモリフォリウムの纏う衣服がぬらりと揺れる。

モリフォリウムとマリーゴールド。彼らはよく似ている。

まるで、合わせ鏡のように。

キミは憶えていないでしょう。キミはきづいていないでしょう。

マリーゴールド、キミがワタシにたとえ仮初でも永遠をくれたことを。

記憶は永遠ではない。モリフォリウムはそう考えている。記憶はその所有者の命がついえたその時に散る。

同時に。

モリフォリウムはこうも考える。

ひとは二度死ぬと。まず自己の死。そして、友に忘れ去られることの死。

そうであるなら、そうであったなら。

それならワタシは永遠だ。

ワタシには二度目の死はないのだ。彼は私を忘れまい。

彼らはよく似ている。

彼らは、合わせ鏡のように交われない。

『永遠』に憧れ続けるのは、今両の手に持っているものすべてを、いつかは失くしてしまうからだ。

永遠に形を失わないものはなく、全ては移ろい、風化する。

それはほんの一瞬、まばたきのあいだ

その刹那に、『永遠』という錯覚を生み出して。そうして、また少しのときをふたりでいよう。

そうして、ふたりは。

スノウフレークは祝辞を述べる。

彼らは天に愛されたのだ。

彼らは生まれ生きたのだ。あまりにも、ただひたすらに美しく。

だから。

あまりにも美しすぎたから。

神は待ちきれずに天に召してしまったのだ。

スノウフレークは祝辞を続ける。

絶望が絶望のままで終わらなかったことを、高貴な真の愛が、そのままであったことを祝福するために。

スノウフレークは祝辞を述べる。祈りを込めて。希望を込めて。

どうか、ふたつの花に救いがあらんことを。

そうして、花は永遠を夢見て眠った。

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