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「未来と希望」 白龍

  • ritspen
  • 2020年12月30日
  • 読了時間: 6分

未来と希望

白龍

 その日は寝覚めが酷く悪かった。体が鉛のように重く、思考が霧散していく。脳の中で髄液があふれ出す感覚が広がり、ドロリとした液体で脳内が満たされる。次第に現実と夢との境界が曖昧になっていき、およそ思考と呼べるものは彼方へと消えていった。

気が付くと僕の自我は真っ暗闇の中にいた。しばらくすると暗闇の中に一筋の光が現れた。真白に輝く光は眩しさよりも、温かみを僕に与えた。しかしながら、あれはどうもかなり遠いようだ。僕はその光にめがけて歩みを始めた。僕が歩く道はガラスで出来ており、不規則に連なりながらも緻密な重なりをみせていた。次第に光が近づいてきて、現実と夢とを結ぶ脆い繋ぎ手に誘われながら僕はそれに飛び込んだ。

 光を抜けるとその先には嵐と、海と、岩が待っていた。荒れ狂う波が岩礁を削り取り、暴風が草木を虐げる。雲は墨を溶かし込んだかのように黒く、それを反射した海水は深淵を内包していた。直感的に怒りであると感じた。誰の怒りでもない。明確な方向を見失った怒りや力が体現していた。

力なく怯え立ちすくんだ僕にとどめを刺したのは咆哮であった。突如、地を割るほどの怒号が低く轟いた。海の中から恐怖が顔を出したのである。そいつは灰色を身に纏い、異常としかいいようがないほどに巨大な体躯をもった鯨であった。僕の体の中にあった芯が、奴の鳴き声で震えているのがわかる。次に純粋な悪意や敵意が僕を捉えたということが、奴の淀んだ黄色の目を見て伝わってきた。逃げ出すという思考さえも起こす余裕がないことは当然であった。

 しかしそこで不思議なことが起こった。一瞬といっていい、瞬きをしたその時、目の前に少女が現れた。浅黒い肌に黒髪、麻でできたような粗悪な服を着ており、年齢は中学生ぐらいであろうか、とても幼くみえる。彼女は僕をその青みがかった眼で見つめてきた。

「君はここの者ではないね。ケートスがあれほどまでに怒るのは見たことがない。ここは彼の地でもあるからね。あ、何か言いたげだけど伝えることはできないよ。そうなっている」

 声がでない。彼女に言われるまで自分が言語を使えることを忘れていたかのようだった。

「ひとまずこの場を打開しよう」

彼女はそう言って枝のように貧相な腕を振り上げた。するとまた不思議なことが起こった。絶望を丸呑みしたかのような黒い海が左右に裂け、海が割れ始めたのである。先ほどまで怒りの矛先を僕に向けていた怪物はその感情を霧散させどこかへと消えていった。

「これでひとまず彼は来れない。少し話そうじゃないか」

そう言って服のポケットから薄紫のイナゴのような虫を取り出し食べ始めた。

 あまりにも異常な事態に僕は驚きを隠せず唖然とするほかなかった。

「これが不思議かい? そうか、なるほどね。君は前の時代の住人なのか。なに、食においてこいつを上回るものはそうそうない。なにせ量が段違いだ」

僕には何もかもが不思議だった。連続して起こった出来事は、映画を観ているようでもあり、それ以上のリアルさがあった。さらにこの少女は不思議であった。謎であった。それは僕が思うからそうなのではなく、きっと彼女が不思議であり謎なのであった。概念そのものが現れたのである。

「まあ君はいま不安だろうね。でも大丈夫。ここはあくまで君の夢だ。帰りたいときに帰ればいい。でもせめてここを見て想うことがあってほしい。まあどうにもならないだろうがね」

 彼女の発言のどこかに悲しさあった。それは激情からくる激しい悲しさではなく、諦めを伴った悲しさであった。

 僕は彼女にそういわれてもしばらく動けないでいた。脳内を飛び交う情報の渦に思考が追い付かずまとまらない。しばらく、いやもしかすると、計り知れない時間を何もせず呆然と過ごしたかもしれない。ゆったりと意識を攫うかのように流れる時の中で僕は自我を崩壊させていった。

 朝の眩い光が僕を照らす。陽光が染み入り、いつも通りの朝を迎える。僕は気怠さを纏う体を起こすために布団から起き上がった。いつもと少し違う事といえば、何かこう、心の奥底に悲しい香りのする残滓のようなものが漂っていた。

 その後、僕は何事もなく高校を卒業しようとしていた。一通りの青春と、一通りの挫折を味わい大人になる自分に淡い希望を抱く程度の下らない日常を送っていた。しかし僕がそんな平凡極まりない日常を送る一方で、世界は急激に色を変えていた。

 二千五十四年、八月二日。世界大国となり他国と比較して経済、軍事面において圧倒的な優位を確保していた中華人民共和国はロシア連邦、大韓民国と同盟を組み、アメリカ合衆国に全面戦争を仕掛けたのである。これは後に第三次世界大戦、またの名を終末戦争として長らく語り継がれていく。日本政府は合衆国政府と同盟を組み、当時、瓦解しかけていた国際連合を持ち直す形で中国同盟を迎え撃った。しかしながら二千四十年前半から圧倒的な人口を活かし国内での経済的消費活動を完結させることに成功していた中国は、国力をさらに増大させていたのに対し、少子高齢化の悪化に伴う労働力の低下や、消費活動の低下が起こっていた日米含む旧先進国は、徐々に追い詰められていった。

戦争勃発から一年半後、米軍からの核爆弾使用が戦争を急速に終息へと導いた。それをきっかけとした両陣営による核使用が行われたのである。一カ月足らず、たったの二十一日で世界はその色を失った。人類が正常な生活を行える場所は僅かとなり、人と人とが争う中で次第にその場所も消えていった。これは僕が高校を卒業するはずであった三月の出来事だった。

僕は親も兄弟も戦争の中で失った。本当に辛かった。人が死ぬということが気づけば日常になっていた。吹きさらしの荒野で僕は今までのことを思い返していた。自分一人で生きていくために様々な事をした。道徳とよべるものは、両親を失ってからは捨てていた。しかしながら今日は僕の命日だった。秩序も糞もない世界で少しばかり悪い大人に捕まったのである。彼らの趣味はだいぶ変わっているようで、今日は人間で火炙りをするらしい。しかも半日かけてゆっくりと。

 僕はとうとう三メートルほどの鉄の棒に縛り付けられ火炙りにされようとしていた。足元の薪に火が付き、パチパチと音がたち始めた。初めはは淡い熱だった。しかし次第に、つま先から激痛が走り始め、肉の焼ける匂いがした。だがじわじわと続く激痛は僕を簡単には楽にしてくれなかった。二時間程度が経ち、膝あたりまで焼けても死ねない。出血が起こると同時に火により止血され、足が炭化していくのである。肉の焼ける匂いが家族と焼き肉を食べた思い出を蘇らせた。遠い、遠い思い出が恋しい。しかし思考が固まり、絵を脳内で描く前に、その望郷の思いは激痛によって崩壊させられた。彼らは僕の叫び声を酒のつまみに女を抱いていた。女の嬌声と僕の絶叫がどこまでも響く。文字通りの地獄であった。

 火が太ももを超えたあたりで僕の意識は遠のき始めた。そして下腹部を超えたあたりで意識が途切れた。内臓があふれ出し、出血多量で死んだのだろう。遠い、果てしないほどに遠い場所に行きたい、ただそう願った。そして僕は自我をそっと捨て去りこの世から姿を消した。

 目が覚めた。暑い夏の朝であった。目覚めが酷く悪く、異常なほどに汗をかいていた。きっと悪夢でも見たのだろう、まだ心臓が怯えていた。夏休み前で最近は少し浮かれ気味だった。丁度昨日、そのことで母に怒られたばかりであった。僕は濡れた下着を着替え、いつも通りの時間に学校へと向かうべく少し重たいドアを開けた。

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