「チェックのスカート」 カンザキ
- ritspen
- 2020年12月30日
- 読了時間: 14分
チェックのスカート
カンザキ
夢を見た。わたしが女になる夢。普通に街でチェックのスカートを履いている夢。
吹奏楽部の朝練はいつも億劫だ。鏡の前で自分の顔を見て嫌になる。どうしてわたしは男に生まれてきたのだろうか。右の頬にできたニキビがほんのり赤く充血しているのがわかった。
母親と妹はまだ寝ている。一人トースターでパンを焼いてマーガリンを塗り、アイスコーヒーと一緒に流し込むように朝食をとった。後二週間で、トランペットの選考会。多分わたしはソロを任せられると思う。自慢ではなく客観的事実。小さい頃からトランペットを習ってきたから「上手い」と言われるのが最近慣れていた。
朝練に行くと、すでにちらほらと自主練をしている同級生の女子が目に入った。少し茶色っぽい髪をしている女の子で吹奏楽部員からは、ルリちゃんと呼ばれている。わたしも例外ではなく、普通にルリちゃんと呼んでいた。
わたしもルリちゃんみたいになれたらなあ。
馬鹿みたいな言葉がポツリと頭の中を流れ出す。別に楽器なんてうまくなくても良いから、ただ一日でも良いから女子高生になってみたい。
「先輩、ここ難しいんで教えて下さい」
わたしより二十センチくらい小さい後輩に声をかけられる。「良いよ」と言った言葉は無性に低かった。
朝練が終わって、水泳の授業があった。汗臭い男子更衣室に行く。貧相なわたしの体は上半身が裸になった時に、肋骨の形がくっきりと見え痩せ細っているのがすぐにわかった。すぐ隣で着替えていたパーカッションのやつは意外とガッチリとしていて、どこか運動部のように見える。わたしは痩せ細っている、自身の体に辟易し羞恥心がどこからともなくやってくる。
どうして、男子はガッチリしている方がいいのだろう。女子は細い方がいいのに。いや、それすらもただの先入観でどちらもどうでもいいと思っている人がほとんどなのかもしれない。
水泳用のタオルを体に巻き付けながら、重い足取りで歩く。
「なんで、そんなに暗い顔してるの?」
後ろから、ポニーテールにしたルリちゃんに声をかけられる。白すぎる細長い足が太腿から大胆に出ている。
「水泳は嫌い。というか体育があんまり好きじゃない」
わたしは作り笑いをしながら言う。ルリちゃんは「運動音痴っぽいもんね」と笑いながら言って、それがすごく自然体のような感じであった。わたしもルリちゃんのようになれたらなあと無性に思う。
プールの水は馬鹿みたいに冷たかった。わたしの体はすぐに縮こまって、固まっていく。透き通った水に髪の濡れたオトコがいる。どうしてもそれが自分とは思えない。
隣で、女子も泳いでいた。ふと目をやるとルリちゃんと目が合う。わたしに「笑え」とでもいうように自分の人差し指で、口角を上げて口で「笑顔、笑顔」と言っているのがわかった。ルリちゃんは多分あざといのだ。それが自然体かどうかはわからないが、とっくの昔にわたしはルリちゃんに憧れと、歪な恋愛感情を持っていた。
授業の後半になって、プールサイドに座っているとサッカー部の石田に声をかけられた。
「なあ、櫻井って、やっと相手見つけたん?」
櫻井とはルリちゃんのことである。わたしはそんな話を聞いたことがなかったので、「そうなん」とでもいうようにただ頷くしかなかった。
「櫻井って、可愛いよな」
石田は呟くように言う。わたしに語りかけているのかどうかもわからない。ルリちゃんが可愛いだなんて、わたしが一番知っているような気がした。小学校の時から一緒で今まで付き合った人、すべてを言える。そして、そのすべてがわたしのような「オトコではない」人ではなかった。
「今度の人、社会人の男らしい」
石田は、わたしの小さい、けれどゴツゴツした肩に手を乗せて言った。ルリちゃんらしいと言えばらしいけれど、どこでそんな人を見つけてくるのだろう。
「俺はお前がお似合いだと思うけどな」
石田は冗談のように言った。
わたしは透き通ったプールを見ていた。深い水。溢れそうで、溢れないその水は人間の心に似ていると感じる。
「ルリちゃんは、似合うとか似合わないとかないと思うよ。それか誰でも、お似合いだと思う」
わたしは、低い声で言う。石田は「そうかもな」と笑う。
「あー、可愛い女と付き合いてえ」
石田は大声で叫ぶ。クラスの女子がわたし達の方を向いた。石田のように恥ずかし気もなく、思ったことを叫べたらどんなに良いか。それともわたしのためにこんな風に言ってくれているのだろうか。いずれにしてもわたしの揺れ動く波は少し落ち着いた気がした。
水泳の授業の後はどうしても眠くなる。教室の中で流れる先生の声をゆっくりと聞きながらわたしは目を閉じた。
鏡があった。姿見。わたしはその鏡で自らの姿を見る。やわらかい曲線が浮かび上がる。思わずわたしは「あっ」と声を出す。その声も高い声で、それでいて透き通った声だった。
鏡に映っていたのは美しい裸の女性だった。透明で肌が透けて骨まで見えてしまうのではないかと言うほど真っ白の肌。光が当たり、光沢の出ている艶めかしい黒髪。ずっと伸ばしたいと思っていた髪が、胸のあたりにまである。
自分が自分ではないようだ。自分の体をまじまじと見た後、体中をふれていく。女性の体は力を入れると崩れていくというが、本当にわたしの体は溶けていきそうだった。
学校のプールサイドにわたしは立っていた。その他には誰もおらずわたしだけがいる。なんともいえない気持ちだった。わたしは細い足を水につける。足が固まるような気分になる。それなのにじんわりとわたしの血が溢れるように流れているのがわかった。
わたしの身体は軽かった。プールの中は体が宙に浮いているようで。空を見上げると、透き通った青をしている。広大な水にわたし一人。なんでもできるようでなんにもできなかった。力を入れるとわたしの体は水に沈んでいく。水の中はやけに暗く、一人が好きなのに温かみがなくてどこか寂しくて、ふと脳裏に小さい頃のことが思い出される。
いつも一人で泣いている。男友達も何もできなくて、トランペットを習っている友達はみんな女の子だった。だから、当たり前のように女の子と友達になり、いつも一緒にいるのが心地よかった。
「お前って、女っぽいよな」
何気ない一言をある日、クラスメイトの中心的な男子に言われた。わたしは自分が普通だと思っていたし、今でも思っている。だがその彼にとってはわたしは普通ではなく、アブノーマルな存在であった。だからこそ、わたしは普通ではないということに自分自身が固執してしまった。
プールなのに底はなくて、どんどん体は沈んでいく。光がなくなって、体が軽くなる。
この姿のまま、死んでいけたらどんなに楽なのだろうか、と思ったその時目を開けると黒板に数式が書いてあり、わたしはそこで覚醒した。しかしながら、そのひと時の女の夢がわたしにはどんなものよりも幸福な時間だったことは言うまでもなかった。
放課後、部室に行くとルリちゃんがわたしを待っていたらしく、声をかけてきた。
「なあ、今日二人で帰れる?」
珍しいな、と感じた。ルリちゃんは大体吹奏楽部の同じパートの人と帰るか、はたまたその時その時の恋人と帰るかの二択だったからだ。さらに言えば石田の言うことが正しければ、ルリちゃんは新しい恋人ができたらしいのにも関わらずわたしを誘うなんて何かあるのかと思った。
「別に良いけど、何かあるの?」
「ちょっと、相談事が」
「部活関係?」
「ううん、プライベートなことで」
笑顔でルリちゃんは答える。その屈託のない笑顔が本当に相談事などあるのかという気にさえするようなわたしには眩しすぎる笑みであった。
放課後、ルリちゃんを校門の前で待っていると汗を滲ませながらルリちゃんは小走りで校門まで走ってきた。夏なのに、少し暗い日で半袖が少し肌寒く感じた。
「じゃあ、帰ろっか」
ルリちゃんが言う。ルリちゃんはローファーの靴の音を立てながら進んでいく。綺麗な音だった。ルリちゃんの黒い影が伸びてわたしの影と合流して歪な影になっていた。
「で、相談って?」
わたしがルリちゃんに切り出した。ルリちゃんは第一ボタンを開ける。白い首筋が見える。
「私に彼氏できたの知ってる?」
「うん」
「あ、知ってるんだ。知らないと思ってた」
左手に公園が見えてくる。わたしたちは何も言わずにその公園に入っていって、ブランコに二人並んで座る。
「知ってるよ、社会人の人って聞いたよ」
「うん、そうなんだけど」
ルリちゃんはブランコを漕ぎ始める。キーコ、キーコと錆だらけのブランコは音を出しながら動き始める。
「私って大人っぽい?」
ルリちゃんの乗っているブランコの振り子運動が単調で、気のせいかルリちゃんの声も単調に聞こえた。
「そうなんじゃあない?」
「本当に?」
やけにしつこさがあった。わたしはルリちゃんが何を心配しているのかがわからない。ただ、こんな目を細くさせて、陰鬱とした顔をしているルリちゃんを見たくはなかった。
だから、わたしは「うん」と一言。頷くようにして「どうしたの?」と静かに聞いた。
公園の電灯に灯りがついて、灯りの周りに蝶々が飛んでいるのが見えた。
「今、付き合ってる人が本当にいい人でさ。でも、わたしってほんまに子供っぽくてどうしたら大人っぽくなれるんだろうって思って。その人はめちゃくちゃ優しくて大人っぽくて、私より人生経験もあって。それやのに私は何にもできなくて」
ルリちゃんの話している内容はわかったが、話が不透明だった。ルリちゃんの言葉はどこかくすんでいる。
「それで?」
「私が大人になれる方法が一つだけあると思ったの」
ルリちゃんの顔は公園の灯りに照らされて、橙色に灯っていた。
「私って、処女やん」
ルリちゃんが急に言った言葉が一瞬理解できなかった。わたしはただ「うん」と頷いていた。
「だから、私を抱いてよ」
言葉の意味自体は理解できていたが、わたしの知っているルリちゃんと、乖離しすぎていて私の目の前にいるルリちゃんが本当にわたしの幼馴染のルリちゃんであるのかがわからなかった。
「そんな、自分の体は大事にしないと」
わたしが言った瞬間、ルリちゃんは「体なんて」と嘲笑した。
体なんて、なんてわたしの前で言わないで欲しい。わたしはどうしてもこの気持ち悪い体を背負わなければいけない。ルリちゃんのその体は清いのに。
「また、連絡するね。じゃあ」
ルリちゃんは、わたしが返事をする前に公園を出て行ってしまった。ルリちゃんが乗っていたブランコがまだ揺れている。砂場に女の子が一人で砂山を作っているのが見えた。チェックのスカートが可愛らしく、ルリちゃんも小さい頃よくチェックのスカートを履いていたことを思い出した。あの頃のままのルリちゃんでいて欲しい。
わたしは、ルリちゃんが乗っていたブランコに乗って漕いでみた。お尻のところが生ぬるかった。ルリちゃんがわたしを頼りにしていることがどこか嬉しく、しかしルリちゃんが「わたし」に対してそんなことを言うのが、「わたし」にはやはり悲しかった。
家に帰ると、ルリちゃんからメールが来ていた。
花火大会の日、二人で花火見に行きませんか?
丁寧な文章。いつもの絵文字が多いメールではなく、単調な文章。それが無性に先程の会話に現実味を帯びていることをわからせる。
彼氏は他の人と会っていいって言ってるの?
返事はいつまで経っても来なかった。沈黙がどこまでも続く。わたしは、ルリちゃんがわたしのことをどのように考えているかわからなかった。
次の日、ルリちゃんは学校を休んだ。昨日のことを聞こうとしていたが、来ていないとわたしに取れる行動はほとんどなかった。
「先輩とルリ先輩、昨日一緒に帰ってましたけど、ルリ先輩今日休んでて何かあったんですか、メールも何も返事ないし」
後輩からそんなことを聞かれた。わたしは本当のことを言うわけにはいかず「ただ、体調悪いだけやって」と、口を濁すしかなかった。それを言った時にどうして休んだのかわたしが一番知りたいのに、とやりきれない怒りがどこからかやってきていた。
「今度、ルリ先輩と花火大会に行きたいんですけど、大丈夫ですかね」
後輩はたまたま、言っているだけなのにわたしが悩んでいる姿を嘲笑っているような気がした。
「うーん、わからないけど聞いてみたら?」
わたしに言えることは何もなかった。
結局、花火大会の日までルリちゃんは学校に来なかった。部活の人は大会前だと言うのに、と心配していたが、わたしはどこか心の中で安心していた。どんな顔でルリちゃんに会ったら良いか自分で想像できなかった。
部活が終わって、大体の人がそのまま花火大会に行くと言っていた。
「先輩は、花火大会行かないんですか?」
後輩から問われる。
「今日はちょっと、予定があって」
「そうなんですか。ルリ先輩も結局体調不良で行けないみたいですしなんか大変みたいですね」
「うん」
そのあと、わたしは後輩と別れて家に帰ろうとした時にスマホに電話がかかってきた。相手はやはりルリちゃんだった。
「もしもし」
「私服で前の公園に来て」
たったそれだけ。それだけで電話は切られる。冷たいスマホだけがごつごつとした手で持たれたままで、辺りはすでに暗くなっていた。 行ってはいけないと頭ではわかっているのにどうしてか、家で着替えているわたしがいた。
公園のブランコに私服のルリちゃんがいた。チェックのスカートを履いておりいつもの明るい表情はなく「じゃあ行こうか」とだけ言って、わたしの右手を持った。ルリちゃんの温かい小さな手がわたしの手と触れる。ぎゅっとしてしまえば潰れそうだった。
公園から少し歩いたら花火大会の会場はあった。屋台が数多くあり、人混みが多い。右手に手汗が出てきているのがわかった。ルリちゃんは一言も発さずに人混みの中をただ歩いている。
「どこ行くの?」
わたしの声には何も答えない。
はたから見ればカップルに見えるのだろうか。ルリちゃんの顔を公園であった時から、ちゃんと見ることができなかった。
「ねえ、たこ焼き食べよっか?」
ルリちゃんが唐突に目の前の屋台を見て言った。「別に良いけど」と言う。
たこ焼きを一つ買って、二人で串を刺しながら無言で食べる。たこ焼きの味なんかはしなくて、わたしの頭の中で今ルリちゃんが考えていることを想像するしかなかった。
「キスしよっか」
急にルリちゃんが言う。唐突に言うルリちゃんの顔をその時今日初めてしっかり見る。学校ではしてこない化粧をしていることすら気づいてなかった。
ルリちゃんがわたしに抱きついてくる。そのままわたしにキスをする。
「ちょっと、やめて。彼氏でもない人とそんなこと」
「良いじゃん、どうせオトコじゃあないんやし」
「え」
「じゃあ、行こっか」
そこから、わたしたちは二人立ち上がって国道を歩く。パチンコ店の隣にある白い外壁の建物にそそくさとルリちゃんにつられて入る。ここに入るまではどこか頭の中でルリちゃんが言ったことは冗談だと思っていた。だが、ここに入ってから本当の意味で、ルリちゃんが言ったことが本心だとわかった。
部屋に入ると、ルリちゃんは、わたしをベッドに押し倒す。わたしの目の前にいるルリちゃんの目が潤っているのがわかった。
「ルリちゃんも嫌でしょ。やめようよ」
「もう無理」
そう言いながら、チェックのスカートを脱いで下着姿になる。そして、そのままわたしに覆い被さって「ねえ、もう楽しもうよ」とわたしの耳元で囁いた。わたしの硝子のような心はもうぐちゃぐちゃになっていた。
高温に熱せられた硝子が溶けていき、液体状に変わる。どろどろのその液体に覆い被さられたわたしはだらんと力を失って、目も虚になっていく。
ルリちゃんの体はやっぱり綺麗だった。わたしの憧れ。だからこそ、わたしなんかと体なんて重ねてほしくなかった。
ルリちゃんが不意にわたしに「ねえ、女の子ってどんな気持ちなの?」と聞いてきた。「どういう意味?」と、わたしはルリちゃんに聞く。
「だって、女の子じゃん?」
先程の時も言っていたが、どうしてわたしが女の子だとルリちゃんは気づいているのだろう。
「ルリちゃんだって、女の子じゃん」
「私はわからなくて、女っていうのが」
「ただ、好きな人がいてその人のことしか見れなくて、あんまり難しいことは言えないけど」
「そっか」
ルリちゃんの顔は凄く紅潮していた。細いウエストが目の前にあり、こんな細い体に臓器が全部入っているなんて想像できない。暗い部屋でルリちゃんの声だけが響く。
「ねえ、いつからわたしが女の子って気づいてたの?」
「覚えてない」
吐息を漏らしながら言うルリちゃん。
「わたしが女の子だから、わたしにセックスしてって言ったの?」
「違うよ、元彼でも良いなと思ったし、今の彼氏でも良かった」
「じゃあどうして?」
「なんか、初めてしてる姿が想像できなかったから」
そう言ったルリちゃんはいつもの笑顔だった。
「好きだよ」
わたしは不意にルリちゃんに言った。ふと脳裏に石田が言った言葉が浮かんだ。
「ありがと」
ルリちゃんはそれだけ言った。
多分、ルリちゃんはわたしのことなど眼中にないのだ。そんなことはわかっている。ただ、それでもルリちゃんは優しかった。
「窓から、花火見えるかな?」
わたしはルリちゃんに言う。ルリちゃんは「どうだろ?」と答える。体はもうベタベタなのに、どこか清々しかった。
次の日わたしたちは二人で学校をサボった。学校をサボるなんてだいぶ久しぶりだな、とルリちゃんに言うと、ルリちゃんは「真面目だね」と笑う。
ホテルを出たら入道雲があった。
「キスしよっか」
わたしたちは手を握りながらキスをして、そのまま何も言わずに別れた。
わたしの初恋は今思えば、長かったと思う。でも、少しだけそれがか弱いわたしを強くさせたかもしれないと思った。
夢を見た。
わたしはチェックのスカートを履いていた。だが、それはもう要らないと、脱ぎ捨ててわたしは新しい服を手に取った。
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