「たった3時間だけの魔法」 佳河健史
- ritspen
- 2020年12月30日
- 読了時間: 21分
たった3時間だけの魔法
佳河健史
1
〝夢の王国〟を取り囲むようにモノレールは廻っている。進む方向に顔を向けるように立つと、ちょうど私の左側と右側で別の世界が広がる。その境界を、夢の王国の国境をアピールするかのように、モノレールは静かに進んでいく。
「佳苗ー、ここ空いてるよ!」
「え?」と振り向く私を招き寄せるように、有希が日の差している席をぽんぽんと叩く。
「ありがとー有希、立ってるの疲れたー」
有希の呼び掛けに応えて夢の王国側のシートに座る。どこにでもあるような住宅街はもう見えなくなって、私の視界は幻想を彩る世界に支配される。そこでは黒いアスファルトの海から逃げるように人々が夢の王国へと吸い込まれていく。
「平日なのに人多いね……」と私がため息まじりに呟いたとき、テロンと通知が鳴って、有希はとっさにスマホをいじり出す。手前の桜と智子は話に夢中。私もなんとなくスマホを右手に持つが、たまたま見えたものにくぎ付けになってしまった。
「あ、プリンセス城」
私の独り言は多分誰にも聞こえていない。それは私もよくわかっている。お城を見るよりも大事なこと――返信することやアイドルの話にすることにみんなは追われている。
そっか、みんなは春休みに行ったばかりだもんね。
私は勝手に納得して、スマホを窓際に置き、次の駅に着くまで外を眺めることにした。胸の奥でさざめき立つ遠い記憶に、私もまた追われて始めていた。
〝夢の王国〟ドリームリゾートに初めて行ったのは、まだハイハイとあんよのことだけ考えていればよかったころらしい。もちろん初めての感動なんて覚えていないけど、そこから数えるとおそらく10回は行っている……と思う。
その中でも一番記憶に残っているのは町内会の遠足で行ったとき。たまたま同じ町内の女の子と一緒に行動することになって、水しぶきの出るアトラクションで遊んだり、パークの中にある島で鬼ごっこをしたり。今でもなんであんなに楽しかったのかわからないくらいに楽しかった。
翌年に引っ越してしまったせいでその子と遊んだのはそれきりだった。
そのせいか、年月を経るにつれてあの子と遊んだ1日はどんどん彩り鮮やかになっていった。
こういうのを国語の教科書ではノスタルジー? というらしい。
あの白くて高いプリンセス城を見ると、あの子との写真を撮ってもらえばよかったなぁ……と未だに懐かしむくらいで、ある意味で夢みたいだ。
あの子がアタリと呼んでいた、蜜まみれでカリカリになったポップコーンの甘ったるさが舌の上で広がる――。
「着いたよ?」
甘い記憶に浸っていた私と城の間を有希の色白い手が遮る。
「あ……ごめん」と言って私はバッグを持ち、足早に電車から降りた。
プリンセス城を背景にしたスペシャルなクラス朝礼が始まり、「帰るまでが遠足」といった内容の長話を目をこすって受け流す。それが終わると、私たちはようやく夢の王国への入場券を得られる。
エントランスを抜けると、塵一つもないようなきれいな世界が広がっていた。王国にすっぽりと収まっているように見えたプリンセス城は、今や世界を飛び出してしまいそうなほどに天高くそびえたつ。そして目の前には巨大な地球儀を、横には火山を携える。妖精が一晩で作り上げて、小人が夜な夜な掃除をしているといっても嘘には思えない。
「あ! あーっ見て見て! ラッキーがいる!」
はしゃぐ有希の指す先ではラッキー・ダックが子供と写真を撮っていた。このパークのシンボルで、誰もが知っている有名人。
「佳苗のスマホで写真撮ろーよ!」
その声を聞いたとき、私は無意識に「あ」と口に漏らしていた。窓際に置いたままだったスマホ。バッグをひっくり返すまでもなく、置いてきたことは直感でわかった。一筋の汗が背中をつうっとなでる。
「どったの?」と智子の鼻にかかった声とともに視線が集まる。
今、取りに行こうと思えば行ける。再入場するためのスタンプを手の甲に押してもらって、あとはエントランスから駅へと一直線だ。
でも……。
長い一瞬の中で乾きかけた口から唾を飲み込んだ。
「あ? あぁ~、スマホの充電切れちゃっててさぁ~。ははは……」
アトラクションに乗るには早めに並ばなきゃいけない。写真を撮る時間だって必要だ。みんなが行きたいところになるべく行くには迷惑なんてかけられないし、余計な心配をかけさせて、楽しい雰囲気に水を差すわけにはいかない。
「そっかぁ……佳苗にしてはドジったね~」
智子が肘で私の片腹をこづく。いつも通りの、整備されたほんわかさが戻ってくる。
(隙を見計らって公衆電話から連絡しよう)
行く途中の自販機で千円札を崩しておいてよかったと心の底から思ったとき、パークに感じた淡い夢がぽんっ、と弾ける音がした。
桜のスマホがキャストの手に渡り、私たちがラッキーに詰め寄ったとき。
「佳苗はこっち」と有希が私を引き寄せ、腕を絡ませる。
この特等席に入れたとき、スマホを見捨てた判断は正しかったのだと実感する。私は有希の、グループの空気を感じ取ることで、平穏な中学生活をこれまで送ってこられたのだから。
私の中学生活は、有希が「そうだ」といえば「そうだ」と言い「違う」と言えば「違う」という生活だった。部活も一緒で、体育のペアも一緒で、修学旅行も一緒。有希の行く道にその後ろをついていくだけ。そんな私の姿をみんなは〝大人っぽい〟と呼んでいた。
だからそれが大人になっていくための、誰もが通るような方法なのだと納得していた。
2
私たちは今、ライトニングマウンテンに並んでいる。頭上には〝待ち時間120分〟の文字が光り続けている。絶叫系アトラクションである上に写真が撮れるということもあって、私たちの他にも学生らしいグループでごった返していた。
私は絶叫系マシンが苦手だ……というか心臓が受け付けない気さえする。ただ、今ライトニングマウンテンよりもはるかにひやひやするのは――有希の機嫌だ。
「はぁ……なんで目を合わせてくるのかな、あの子」
有希が不機嫌なとき、私も不機嫌になる……ことは流石にない。そういうとき、私はただ有希の愚痴にふにゃふにゃとした返事をするだけだ。
〝あの子〟というのは同じ部活の千秋を指す。本当は今日もいつものグループ――有希と桜と千秋と私――でドリゾに行く予定だった。千秋が有希の気になっている先輩と二人でカラオケにいるところを目撃されるまでは……。
「気持ち悪……」
中学最後というプレミアのせいだろうか。有希の愚痴を聞き続ける間、私は有希と仲たがいしていった面々を無意識に思い出していた。
みんな私とも色々な思い出があったけど、有希とすれ違うと私ともすれ違っていく。私たちをつなぐ糸は重い鉄鎖のようであっても切れやすく、なのに蜘蛛の糸のようにしつこく付きまとう。
ラッキー・ダックと犬のグルーは永遠の親友だ。でもそんな糸は私たちの世界隅々を探してもありはしない。有希が愚痴を言うたび、肺の底から絞り出すように「うんうん」と言う。だんだんと息が浅くなっていくような気がした。
その浅くなった息のまま、シートに座ると肺がさらに締め付けられる気がして、深く息を吸って吐く。ライトニングマウンテンはアップダウンの激しいジェットコースターとして有名だ。視界の奥、連なり並ぶコースターの先に西部開拓史を模した世界が広がっている。
「それでは、浪漫あふれる西部開拓へ……いってらっしゃーい!」とキャストが声を掛けると、コースターはガタン、と前に進む。隣で無邪気にキャストへ手を振る有希を横目に、私はもう一度深呼吸をするのだった。
それからはあまり覚えていない。落ちて昇って振り回されて、といった重力の感覚が染みついただけ。絶え間ない音と光に振り回されて頭ががくん、がくんと右へ左へなぎ倒される。私はただただ、みんなが叫ぶときには叫ばなきゃという義務と、吐き気に耐えなきゃという使命を果たすのに必死だった。終わった後、慌ててみんなに断ってトイレに駆け込んだ。
ハンカチで口を拭ったとき、私は気づいた。
淡い夢が弾けた音がしたのは、私の世界と夢の王国がリバーシみたいにくっついて離れなくなってしまったから。
町内会の遠足であの子と遊んだ思い出が、きれいでみずみずしくて仕方ないのは、これからの一生で二度と手に入ることがないから。
私は、夢の王国を夢のまま楽しむには大きくなりすぎてしまったのだろう……。
夢の王国で楽しむのはアトラクションでもパレードでもチュロスでもない。それは子供になるための楽しみ方。
アトラクションにみんなで乗り、パレードをみんなで観て、チュロスをみんなで食べること。これが大人になっていくための楽しみ方。
みんながパークに行きたがる理由は、みんなと遊ぶにはパークが丁度いいと思っているだけ。
便座に座り直してふと天井を見上げると隠れラッキーがいた。
「君は必要だけど必要じゃないんだよ~」とラッキーに向かって小さくつぶやく。
おそらく、誰にも聞こえていない。
個室のドアを開けると、手洗い場に智子がいたのでぎょっとする。
「お、佳苗」
「……智ちゃん」
独り言聞こえてた? と言いたい気持ちをしまい込み、口角を上げる。
「次はスペースツアーズに行くってさぁ」
「あっ」
スペースツアーズはテレビのCMでもよく目にしていた。新アトラクションで、3時間並べるほど大人気で、写真が撮れて、絶叫系。
「有希がどうしても乗りたい、って言ってたやつだ」
智子は「そうみたいだね」と言ってぴっぴっと濡れた手を払う。
「あのさ、あんま無理しなくてもいいと思うよ」
「え?」
「うーんなんか、言いたいことは言った方がさ……いいんじゃないの?」
多分絶叫系が駄目なのに勘づいている。智子ならそうするだろうし、できるだろう。そういうところが智子のいいところで、どのグループにでも顔が利く理由だ。
でも私は智子じゃない。智子の助言に私はただ「うん……」と含みぎみにうなずくしかなかった。
合流地点に戻るとき「あの長い黒髪の子めっちゃ可愛くなかった?」という低い声がすれ違いざまに聞こえた。
「有希のことだな」と智子はにやりと笑い「まぁ言ったらわかってくれるって」と私の肩を軽く叩く。
私はただただ何も言わずに笑った。きっと、ぎこちない笑顔だ。
3
今、私は昼下がりのアラビアンオアシスにいる。私の周囲では、ランプの妖精が魔法をかけたティーカップがくるくると舞っている。
目の前には同じ制服の女の子がテーブルをまじまじと見つめている。ここには有希も、桜も、智子もいない。私とこの子だけを乗せたコーヒーカップだけが他とはぐれてゆらゆらとふらついて動く。
「回したかったら、回していいよ。酔わないくらいならね」
私が声を掛けると、その子は「ん」と言ってしばらく押し黙る。
「じゃあ、ま、回すね」
彼女はテーブルに手を掛けると、歯を食いしばってそれを回す。カップがちょっと速くなる。
「あ……あのね、カップのテーブルの模様の中にはね、妖精がいるんだ」
私はへぇ、と確認する。妖精が右隅にちらりと顔を出している。
「ほんとだ。
ええと、あの……名前聞いてなかったよね?」
彼女はふわふわと視線を泳がせながら「下の名前ですか?」と尋ねる。
「姓でも名でも、どっちでもいいよ」と言うと、しばらくしてから「サツキです」とぽつり。
「私は佳苗ね」といって、次の話題を探す。景色に目をやると夢の王国のパノラマが開かれて、空飛ぶゾウや浮き上がるカーペットから、少なめの行列、そしてポップコーンのお店が代わる代わる視界に飛び込んでくる。
「カレー味かな?」と私が小さく指を指す。
「この辺だけ……ストロベリーミルク味。
ジンは牛乳が大嫌いだから、ヴィランが魔除けのために置いていったの」とサツキはすらすらと答えた。
私はずっとビックリしている。サツキは何でも知っている。
その何でも知っているサツキと私はさっき出会ったばかりなのに二人でパークを回っている。
自分でもなんでこんなことになったんだろう……? と不思議でしょうがない。
思えばこれは、智子に勇気づけられて、私が勇気を出してみた結果だったのだろうか?
スペースツアーズに乗ることになって、並んでいる辺りでやっぱダメそうってなって、智子に助けてもらって、それでも結局一人で待つことに――というより私が一人で待つと言って聞かなかったんだけど。
「ごめんね~」と私を抱き締める有希の後ろで、あきれたようにため息をつく智子の顔が目に浮かんだ。
待ち時間は3時間。別の友達のところに行くから大丈夫、と言い訳をしてできた3時間。
ベンチに座りながら、ソロでも遊べそうで、先生と出くわさない場所をマップを開いて探していたとき「待った?」と声が聞こえた。
待ったも何もないでしょ、と知ってる誰かを想像して呆れて振り向くと、前髪がまばらに目にかかった、ちょっと小柄で、同じ色のリボンと制服をした女の子。
知らないけど同じ中学なのはわかった。でもこんな子、うちの学年にいたっけ?
それがサツキへの第一印象で、サツキが「とりあえずこっち来て」と手を引っ張って、私はそれに抵抗してもいいのになんとなくいいように引っ張られて――今に至る。
「ねぇ、なんで私に話しかけてくれたの?」
回るティーカップの中に意識が戻り、私は今さらながら当たり前の問いをサツキにぶつけてみる。
「学生が一人でいると……さ、結構話しかけられたりするから」とサツキは言葉をよどませて言う。
「そうだったんだ」と返事をすると「物陰から見られていたから」とサツキは付け加える。
夢の王国にとんだ不届き者がいたものだ。
「なんか、ありがとね。学年同じでしょ? 何クラス?」
「えーと……」
ちょうどその時、カップの回転が止まる。運がいいのか、キャストが最初にドアを開けてくれた。
「行こっか」と言って、私たちはキャストの声が響くなか、カップを後にした。
「ジンの魔法は解けてしまいました! 段差に気を付けながら降り、出口へと進んでください!」
「いやーやっぱ、絶叫しない乗り物の方がいいわー!」
私が大きく伸びをして、バケットがごろごろ鳴る。サツキは「うん」と小さくうなずく。
「サツキちゃんも絶叫系ダメで、班と別行動してる感じ?」
「えぇ? うん、まぁ……」
性格が悪いかもしれないけど、たぶん私のグループとは違うタイプなんだろうな、と話し方で察する。
「そっか、そっちの班も結構並んでるのかな? うちは三時間くらい並んでるんだけど」
「……もしかしてスペースツアーズ?」
「そうそう!」
「お、同じくらい……かも?」とサツキは首をかしげる。
私は近くの時計台に目を向ける。にんまりとこちらと目が合う時計の長針は沙月と会う前から半分ほど進んでいる。
はぐれた者同士で楽しむのも悪くないかも、と思い始めていた。
「じゃあ、集合時間まで一緒に回ろっか! これも何かの縁だと思うし。
サツキちゃんの方がパークに詳しいだろうから、いろいろ教えてくれると嬉しいな!」
サツキはしばらく沈黙した後に「いいよ」とつぶやいた。
巡回の先生にみつかりにくい場所、ということでサツキに連れてこられたのがコーストエリアのグランド・サーキット・レース。ゴーカートだ。
「ここ、結構人気じゃん! 大丈夫なの?」
周囲を注意深く警戒する私の前にA4ノートが突き出される。
「このページ見て」
〝研究日誌〟と書かれたそのノートを開くと、サツキはその一部を指さす。
「今日は水曜日だからこの時間帯はサーキットが一番、人が少ないの」
びっしりと詰め込まれた文字に「もう博士じゃん」とツッコむ。
実際に並んでみるとサーキットは本当に空いていて、20分程度で乗り込むことができた。
「運転する?」と言うまでもなくサツキはハンドルを握る。どうやらハンドルを握りたくて仕方ない性分らしい。
「レッツゴー!」とキャストが旗を下ろし、サツキはアクセルを思いっきり踏み倒し、カートが急発進する。ガソリンのにおいを振り切ると、視界に巨大なコースが姿を現した。
カートはエンジン音をけたたましく轟かせながら風を切っていく。カルガモでも眺めていようと思っていたが、右手の小川はあっという間に通り過ぎてしまった。
「なんか速くなーい?」と轟音の中で大声を出すと「たまに――が――!」
「なんて言ったのー!」
「たまに! エンジンが! いいカートがあるの!」
サツキが声を張り上げるとカートががくんと止まる。アクセルを踏んでも動かない。
「運転してる人に話しかけちゃダメだったね、ごめんね」
キャストを待っている間に私はサーキット中央の池に、何か模様を見つける。
「あ。あれラッキーじゃない?」
サツキは「どこ」と食いつく。
「ほら橋の影が曲がってさ、あそこが耳で……」
「違う」とぴしゃり。
「隠れラッキーの条件は天候に左右されないこと、歪みすぎないことと……」
「うわ、細か! あんまり細かいと嫌われるよ~」
私がしたり顔でからかうと「別にいいよ」とトーンの低い声が返ってくる。
サツキのあどけない横顔が突然、二歳も三歳も大人びたように見えて息を呑む。
「ごめん、言い過ぎた?」
「いや」と言って、サツキはぷっと吹き出した。
「別に吹き出さなくても良くない⁉」
「急に子供っぽく見えて……」と目を細めた笑みはぎこちない。
こう見えても大人っぽいって言われるけど、と言おうとしたところでキャストが到着し、カートを押す。再びコース上でアクセルが踏まれると、それまでの遅れを取り戻すように全速力で動き出す。
過ぎ去る風景を尻目に、私は静かに涼しい風を浴びていた。
風景は変わる。林を抜けるとファンタジーエリアが見えてくる。そろそろお昼時だからか、だんだん混んでくる。家族連れから、カップルから、他校の制服、うちの制服――見慣れた顔。
バケットで顔を隠す早さに自分でもびっくりする。見慣れた顔――千秋とそのグループがサーキットに並んでいた。
偶然にしてはあまりにも酷だ。
カートが無事にピットインすると、私はサツキの手を引いてそそくさとカートから降車した。出口に進んでいくとき、冷たい目線をヒリヒリと感じる。
「なんか悪いことでもあったの」とサツキがたじろぐ。
悪いかどうかを決める権利が私にはないと言いたかったが、ぐっとこらえてその場を後にした。
4
プリンセス城を中央に、コーストエリアを北に進むとベイサイドエリアにたどり着く。小走りだったからか、海辺が見えるときには息が上がっていた。
「ちょっと、休憩しようか」と後ろを振り返ると、サツキは今にもとろけそうな顔で震えていた。あまり運動していない人の疲れ方。そのまま震える手でノートにあるお店の名前を指した。ちょうど空いている時間だそうだ。
「ごめんね、走らせちゃって」
息を整えるように歩きながら、私はお店を探す。
「いいよ」とサツキは言い、一呼吸置いた。
「なんか、疲れるのも楽しいから」
「そっか」と息を吐き出すように応える。
「私も楽しいよ。最初は成り行きだったけどね。
子供の頃以来かな、こんなに楽しめてるのは」
「パークには久しぶりに来たってこと?」
「いや、なんていうか……。
パークにはよく来るんだけどさ、楽しさの方向が違うっていうか……」
私は言葉を紡ぎながら、私にもサツキにも納得できるような理由を探す。
「あ、そうだ。昔ね、町内会の遠足でサツキちゃんみたいな子と遊んだことがあるんだ。その子もパークに詳しかったの。
そんな楽しさっていうか?
ノスタルジー、ってわかるかな? それに近いかも」
難しい言葉を使いながら、そんな楽しさってどんな楽しさなんだろう、と次の言葉に悩む。
この子と仲良くなりたいとか、友達や家族の付き合いとか、余計なことを考えずに。この世界を目いっぱい楽しむこと?
「子供みたいに遊べたってこと?」とサツキが尋ねる。
「うーん……」
現実を気にしなくていい、という言葉がふとちらつく。私にとっての現実。今ちょうど逃げてきた、千秋という名の現実。有希との現実、学校という現実……。
「あ」とサツキがふいに声を上げ、私はハッと見上げる。
お目当てのお店だ。
「ま、まぁそんな感じ」と私ははぐらかし、中へと入る。
お店の中には程よく潮風が吹き抜けて、汗に濡れた髪がなびく。同じ中学の人はいないらしい。私たちはなるべく人目につかない席を選んで座った。
「なんか、佳苗ちゃんって、グルーみたい」
荒い息でサツキがぽつりと言う。
「グルーってラッキーの親友の?
……別に、私はグルーみたいに陽気じゃないし、隙あらばダンスを踊ったりはしないよ」
サツキは「でも似てると思う」と食い下がる。
「グルーってね、ラッキーとは蒸気船の中で無理やり鉢合わせて、すぐに仲良くなったの。色んなキャラとも仲良しで。
佳苗ちゃんもきっとそんな感じ、なのかなって」
私は唇をキュッと締めた。
私がグルーに似てたら、色んな子が離れることは無かった。千秋だってその一人だ。
サツキの話は続く。
「それでね、グルーはたまに頑固なの。芯が通っているっていうか……。
あ! これは佳苗ちゃんのことじゃないよ!」
確かにそうだ。違う。私の芯は私の中にはない。有希に、いや、色んな人に私の芯はゆだねられている。
急に世界がまた色褪せて見えてくる。夢の王国が音を立てて陸に着地していくような、そんな感覚。
もし有希たちが早めに戻ってきていたらどうしよう。千秋が言いふらしたらどうしよう。私は今、悪いことをしている。当たり前だ、班で行動しなさいと先生も言ってるのだから。連絡できる手段もないのに勝手にほっつき歩くなんて――。
「なんか、すごく怒ってる……?」
サツキの言葉で我に返る。途切れ途切れの声だ。
「あ、いや。疲れるとちょっと深く考え事しちゃうよねーって」
私はふぅ、と一息つくと「何頼もうか?」と話題を変えた。
頼んだ後に、私は近くの公衆電話で駅に連絡した。置いていったスマホはちゃんと預かってあるそうで、今さらながら胸をなでおろす。少し心が軽くなる。
あとはサツキとの残り一時間ちょっとをどう楽しむか、ということに全神経を傾けることにした。
私が選んだのはシナモン味のチュロスとココア。一口食べるとやけに甘く、まだお昼ご飯を食べていなかったことを思い出す。
「子供の頃に似た楽しさって言ってたよね」とサツキがチキンレッグを一口飲み込んで言う。
「それってやっぱり、私が子供っぽいってことなのかな?」
違うよ、と言う前に「やっぱりって?」と疑問が出る。
「うん。私ってすぐ興味のあることばかりずっと話しちゃって、空気が読めないから」
「いや、私の方が子供っぽいよ」と食い気味に応戦する。
「いつもは他の人の陰に隠れてばっかりで。
誰かの言うことにうんうんってうなずくだけで……」
心にたまった思いが染み出そうなところで、また夢が弾けそうな予感がして「やっぱりこの話ナシ! ごめん!」と制止する。
サツキは「わかった」と言って「ただ一つ言えるのは、ソロ以外で遊ぶのも悪くないなってことかな!」と無理やりまとめた。
「まとめるの下手か!」と笑う。
「それはさておき、後1時間で何が遊べるの? サツキちゃん」
サツキはうーんと考え込む。言えないというよりは言うかどうか迷っている雰囲気。
「一つだけ穴場のアトラクションがあるんだけど……」
そういったとき、外からラッキーの甲高い笑い声が聞こえ、それを合図に大音量のBGMが店内になだれ込む。パレードがこちらにやってきたようだ。
5
1926年、不動産王として財をなした富豪が著名人を招き、自らの所有する新しいビルの完成式典を大々的に行った。
彼は大変自己顕示欲の強い人間で、自らの富と名声を示すために、ニューヨークを一望できるという15階へと人々を招き入れるため、エレベーターに乗り込んだ。
しかし上昇中にビルに雷が落ち、エレベーターは落下。なぜか乗客は1人もいなくなっていたという。
現代になって、あなたはオカルトツアーの参加者の1人としてエレベーターに乗り込むことになる……というのが、私たちが今から乗り込むこの「ホラーフォール」の物語だ。
私はホラーフォールの列に並んでいる。こんなことになるとは思いもよらなかった。
確かにホラーフォールは人気アトラクションなのに、ビックリするくらい空いていた。サツキの言うとおりに。
でも、私は絶叫系が苦手だし、特にホラーフォールはパークでも一番怖いことで有名だ。
それでもサツキは自分だって苦手なくせに「子供っぽい自分から脱皮したい」と言ってここを選んだ。
私は正直に朝のこと――ライトニングマウンテンで気分が悪くなったことを伝えた。
その上で、私も乗ることに決めた。
「いつでも抜けていいからね」とサツキは列が進んでいくごとに言ってくれた。私はそのたびに大丈夫と言ったし、実際に大丈夫な気がした。
それでも座席に座って、安全ベルトがきつく締められるともう逃げられない、と思った。エレベーターが上昇していくと同時に心臓がバクバクとなり、私はずっと目をつぶっていた。でも上へ下への重力と右から左からの風や音の中、不思議と考えることがあった。
わがままだなぁ、と思う。絶叫系が乗れなくて有希たちと分かれたのに、いま私は絶叫系、それもホラーフォールに乗っている。
私はさっき、どうして乗ることに決めたのだろう? 私も絶叫系を克服したいから?
考えは尽きないまま、空に飛んでいきそうなくらいの速さで私たちは上昇していく。
ふわっとした感覚が身体を包み込んで、ふと目を開ける。
最上階の15階は開けていた。ドリゾはもちろん、その奥には住宅街や工場、さらには地平線まで見えた。
その光景は、夢も現実もすべてを抱きしめていた。
私たちを乗せたエレベーターは下へと落ちていった。
6
ホラーフォールの出口から出た私たちは二人して放心状態になっていた。
「なんか、いろいろわかった気がする」と私はぽつりとつぶやく。
「怖いけど、楽しかったよ」
時刻を見ると、すでにぎりぎりの時間だった。サツキは私をせかし、あっけなく私たちは分かれた。
私が走りながら後ろを見ると、サツキは小さく手を振っていた。私も振り返しながら、クラスがどこか聞き忘れたなぁ、とちょっと後悔した。
元のベンチに戻ってくると智子が先に座っていた。
「遅いぞ、佳苗」
「みんなは?」と私が言うと女子トイレの方に顎をくいっと傾ける。
「スペースツアーズ、結構怖かったぞ?」
「楽しかった?」
「まぁね」と智子は歯を見せる。
「みんなで乗れば良かったな、」
「はー? 調子いいこと言いやがって~」と智子があきれる。
「まぁ今度はあたしじゃなくて千秋を連れていけよ、有希も悪かったって考え直したみたいだし」
「そっか」とつぶやくと、智子は「あ」と言う。
「友達と遊んでたんだろ? 写真とかないのかよ~」
私はバッグに手を当てる。
そういえば、写真はもらったんだっけ? 放心状態で覚えていない。
「もしかしたら、もらい忘れたかも」
「えー、からかってやろうと思ったのに」
私は不意に吹き出す。
「きっと、めちゃくちゃひどい顔で写ってるよ」
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